72 / 83
第72話
夜も更けた空には、月の影が無かった。代わりというにはあまりに微かな灯で、星々が辺りを照らしている。
道の右手にならんだ店はどこも灯りが消えて静まり返っていた。周囲に他に人影はなく、左手には浅い川が広がっていた。さらさらと水の流れる音が辺りを満たしている。
竜巳は建物の影に身をひそめながら、前方でゆらめく提灯を追った。静まり返った冬の夜は今にも雪が降りそうな寒さで、身を切るような玉風が吹き付けている。はあ、と吐いた息は白かった。
竜巳は襟巻をぎゅうぎゅうとまき直しながら、足を忍ばせ、その時を待つ。相手は侍だけあって、歩く姿にも隙が無い。
これからあの男を手に掛けるのだ、と思うと身体が震えた。
この機会を逃せば、次はいつになるか分からない。それを理解しているがゆえに、心ばかりがはやくはやくと急いでしまう。
彼の警戒が解けた一瞬を狙う。輝夜に殺しの手ほどきは受けた。あとは実行するのみであった。
竜巳は懐の小刀に手を置くと、その辺りをぎゅうと握りしめた。――輝夜がそこにいる気がした。
「……!」
先を歩いていた佐平が角を右に曲がった。
慌ててその背中を追い、角で止まると、少しだけ身を乗り出すようにして様子を伺う。
――佐平はそこに佇んだまま、こちらを向いていた。
「何奴だ」
佐平が声を張る。静かに響いたそれは、低く威圧感のある声だった。
竜巳は小さく舌を打った。こんなにも簡単に見つかってしまうなど何たる失態だろうか。
竜巳は嘆息すると、目から下の顔の半分を襟巻で覆い隠し、そっと小刀を抜いた。
そして勢いよく物陰から飛び出すと同時に、佐平に斬りかかった。即座に抜刀して小刀を受け止めた佐平はくつりと嗤った。
「先ほどからどうも草の者の匂いがすると思うたわ」
「……草ではないけれどな」
刃を弾かれた竜巳は後退し、柄を握り直す。放り投げられた提灯の灯りが消えた。
「ほう。その草のまがい物が私に何用だ」
「……お前が知る必要はない!」
言うが早いか、竜巳は再び佐平に斬りかかった。金属のぶつかり合う音がして、刃と刃が交差する。
ともだちにシェアしよう!