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第18話
チチチ、と朝を告げる鳥の声で目覚めた。
毛皮の温もりから這い出る。いつの間にか横になって眠ってしまったようだ。輝夜は既におらず、燻(くすぶ)る囲炉裏の向こう側で伊織が鼾(いびき)をかきながら寝ているのが見える。
寝ぼけ眼のまま身を起こし、ぐっと両腕を上げて伸びをした。
「……寒い」
ぶるりと身体を震わせ、帯を解いて袷(あわせ)の崩れた着物を着直す。放り投げてあった赤い襟巻を首にあてがい、土間へ下りて井戸へと向かった。外は秋晴れの日和で、雲のない青い空が視界一面に広がっていた。太陽は中点に差し掛かっている。一度大きく息を吸い込んでから吐いて、酒の匂いを身体から吐き出すように呼吸する。秋の空気を堪能してから水をくみ上げ、冷え切った水で顔を洗ってからいそいそと家に戻った。
「……伊織」
板の間に上がり、起きる気配のない伊織を揺する。
「ぐがー……」
「…………」
鼾が一際大きくなるに留まった。輝夜も朝は弱いことが多いが、名前を呼ぶと目覚めるため他の男となると起こし方が分からなない。
「……おーい」
悩んだ挙句、頬を叩くことにした。何度か名を呼びながらぺちぺちと叩くと、ようやっと目を開けて起き上がった。
「う~……頭いてえ……竜巳、水くれ……」
「……あんたほんとに忍なのか?」
「ふ、ひでえな……輝夜がうわばみなだけで、俺たち草だって酔う……って聞いてねえし」
伊織が声を荒げるも、竜巳は見向きもしない。
「弱いくせにつぶれるまで飲むのが問題だって言ってるんだ」
嘆息して毒づきながら、土間に安置してある甕から水を汲んでやる。受け取った伊織はそれを一気に煽ると、はあ、と大きく息をついた。
「あ? 輝夜はいねえのか?」
「ああ、いつも通り仕事だろ。そういうのばっかり回ってくるってこぼしてた」
「そうかい。ま、この家は一番人里に近いからなあそれもあって……」
「近くに村があるのか⁉」
竜巳を身を乗り出して伊織に詰め寄った。ぎょっと目を向いた伊織が身を引く。
「あ、ああ……俺たちの足で一刻かかんねえとこになかなか大きな宿場の町があってよ。この家の裏を通ればすぐだ」
「宿場……」
間違いない、ここはあの山賊の根城の近くだ。村まで降りれば活路が開ける。
心臓がどくどくと脈打った。逃げ道を――見つけた。後はどう輝夜を欺(あざむ)くかだろう。浮足立つ竜巳の様子が伝わったのだろうか、伊織は可笑しそうに苦笑した。
「そうだ、お前、ここから逃げようとしてるんだろ?」
にやにやと笑った伊織に指摘されて、竜巳は肩をびくりと震わせた。
「ははは、図星だろ? ずうっと機会を伺ってます~って顔してたぜ。輝夜には筒抜けだろうな」
竜巳は目に見えて落胆した。
「……そんなこと考えてないよ。あんたの思い違いだろ」
「ええ? そんなまさか、俺だってこれでも忍だぜ? 人の気配には敏感なんだ」
「揺すっても起きなかったやつに言われても全く説得力がないんだけど」
伊織がぐっ、と言葉に詰まった。
「俺は弟子になったんだ。修行が終わるまで出て行けって言われても出ていくもんか」
そううそぶくと、伊織はへえ、と目を丸くした。真っ赤な嘘も堂々と言い通せばすんなり呑み込んでくれるものだということを竜巳は知っていた。
「そりゃあ安心……いや、まあその様じゃあいくら色男相手とはいえ逃げ出したくもなるよなあ」
伊織がちらりと首元に目をやった。慌てて襟巻を両手で押さえる。うっ血の跡でも見たのだろう、昨夜は忘れていたが、今では暑くとも襟巻を巻いておくのが習慣と化している。
「……まあでも、大事に囲われてるんだからよ、あいつの傍に居てやってくれよ」
と、儚げに男は笑った。珍しい光景に竜巳は目を丸くしたが、次の瞬間にはいつもの軽薄な印象さえ受ける伊織に戻っていた。
「ま、逃げ出したところで逃げ延びられるかは分からんけどなあ」
「ああ、すぐ輝夜に捕まるに決まってる」
「それだけじゃないさ。……まあ、ここに居たところで命の保証なんてねえけどよ。ここの連中は外の人間に敏感だ。輝夜をよく思わないやつらに、お前が利用されかねない。最悪殺されるだろう。――これはいつもの冗談じゃないぜ?」
だからといって本気にも聞こえないのだが――。
「じゃあ脅しか?」
竜巳が首を傾げてそう返すと、伊織は豆をくらった鳩のような顔をして、あっはっはと大きく笑った。
「ちげぇねえな。いや、脅して悪かった。だがまあ俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだな、あーっと、つまりは寂しい男やもめの傍にいてやってほしいんだよ」
「あんたもやもめじゃないのか」
「俺にはガキの頃に決められた嫁さんがいるんだよ、もうすぐガキが生まれるぞ」
そうのたまう伊織を見て感心すると同時に、この男が父親で大丈夫なのだろうか、と心配になった。
「そうなのか、意外だな……でも、俺が居たら余計に輝夜に嫁さん来ないんじゃないか?」
「あのさ……ああまあいいや! お前はすぐ痛いところを突くなあ、細かいところなんか輝夜にそっくりだ。……まあ当然か」
「え?」
至極まっとうな意見を真面目に述べたつもりだったが、伊織は不服だったらしい。じっとりとした目で凝視され、竜巳は困惑した。
「つまりだな、お前の為にあれやこれやとしてくれるんだから――」
伊織は言い終えぬ内にいてて、と頭を抱え込んだ。慌てて水を汲(く)んできてやると、余程喉が渇いていたらしい。すぐに湯呑を空にしてしまった。
「うえ、気持ち悪い……」
「! あんなに呑むからだ……桶か何かいるか? それとも外に出るか?」
いや、と首を横に振る伊織の背中をさすってやっていたその時、――丁度間が悪く、引き戸が開いて家主が帰還した。
「……何をしている」
輝夜の抑揚のない声を聞いて、竜巳は小さく嘆息した。
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