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第42話

「――全く、いいから聞き分けろ」  腕を掴まれ、強引に後ろを向かされた。ちらりと見えた輝夜は呆れたような、困ったような顔をしていた。手には赤い玉のついた簪が握られている。 「少しは夫婦らしいことをせねばな」 「…………くそ」  小さく着いた悪態に返事はなかった。結わえた髪の根元をもぞもぞといじくりまわされる。以前、紬と共に購入したべっこうの簪を外し、新しいそれを挿しているらしかった。 「ふむ、悪くないな」 「そうかよ」 「こら、言葉遣いに気を付けろ」  柔らかい口調で笑う輝夜を見ると、くすくすと可笑しそうに笑っていた。反抗しようとしたところで、、その表情に一抹の儚さを見出して、竜巳は口を噤んだ。 「ああ、随分とお似合いです。まるで奥方のためにあつらえたもののようだ」  横から声が入り、竜巳はびくりと肩を震わせた。呉服屋の店番だろうか、微笑みを浮かべながらもどこか陰気くさい男がにこやかに輝夜に語り掛けている。 「ああ、これにいくつか、新しいものを買ってやりたい。見立ててはくれまいか」 「い、いいよそんなに……!」 「はいはい、もちろんでございます。器量よしの奥方様です、少し落ち着いたものの方がお似合いでしょう」  おだてられてその気になった輝夜はそうだろう、と笑った。  竜巳を隅に追いやって、話はぽんぽんと進んでゆく。いくつもの簪をあてられているうちに、風早と伊織もやってきて、男三人でああでもないこうでもないと語り出した。 「お嬢ちゃんは青いほうが似合うだろう」 「いやいや、たつ……お竜は目鼻立ちがくっきりしてるだろ、明るい色でもいいんじゃあないか?」 「おい、櫛(くし)はないのか」 「はいはい、こちらに――利吉、そこのも持っておいで」 「はいよ、葉柳の旦那」 「ああ、これだこれだ。いかがでしょう」 「悪くないな」 ――結局、輝夜は進められるがまま三本の簪を竜巳に買い与えた。 「どうだ、楽しかったか」  帰路に着く頃、輝夜はぽつりとそう尋ねた 「……まあ」  背後で酒をかっくらった酔っ払い二人の笑い声が聞こえる。里に着くころには虫が涼し気に鳴いていることだろう。 「……あんたは?」  おそるおそる尋ねると、輝夜は今にも消えてしまいそうな微笑みを見せた。 「とても、楽しかったな」 「……!」  目を見張るようなその笑顔に、竜巳は何も言うことが出来なかった。

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