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赤ちゃんできました
「おめでとうございます。女の子ですよ」
産科医はにこやかな笑顔で言ったあと、ちらりと付き添いの男の顔を見た。
「大丈夫ですか、お父さん?」
はい、と言ったハイドの顔は青ざめていた。それでも医者に微笑みを返す。なんの関係もないあなたまでぼくをお父さんと呼ぶことないでしょう。思わずそんなことを考える。
隣の椅子に座った年下の「妻」、ウィルクスは目をきらきらさせ、医者のほうを見たままそっとハイドの手を握った。ハイドはきつく握り返す。まるでやっとのことで母親を見つけた、迷子の子どもだ。
出産は初めてですか? とにこにこして産科医。ウィルクスはうなずいた。無意識に空いているほうの手で、パーカーの上から腹をさする。そんな些細な仕草にもハイドは怯えた。それでも、笑顔は崩さない。
「出産のしおりをお渡ししますね。エコーで見ると」医者はモニターを指差す。「平均より大きいお子さんみたいです。お二人とも背が高いからですね。モデルみたいな女の子になるかも」
医者の軽口にウィルクスは笑ったが、ハイドは笑顔を貼りつけ、ずっとパートナーの手を握ったままだった。医者は言った。
「出産はお母さんの大仕事ですが、でも本来は、お二人の共同作業です。心配しないで大丈夫ですよ。わたしたち医者やスタッフがなんでも相談に乗りますから」あたたかい笑顔を向け、励ますようにうなずく。
「お母さんは、とにかく栄養を摂って。体を冷やしたり、転んだり、あまり重いものを持たないように気をつけてくださいね。なんでもお父さんに頼ればいいんですよ」
はい、とウィルクスはうなずいた。ハイドは笑みを浮かべたままだ。「そうですよね、お父さん?」と医者に言われて、こっくりとうなずいた。
ふたたび病院の待合室(産科・男性妊娠専門外来)に戻ると、ウィルクスは言った。
「……大丈夫ですか、シド?」
うん、とハイドは答えるが、相変わらず手は繋いだままだ。ウィルクスはじっと夫を見つめた。
「後悔してますか?」
まっすぐな瞳で尋ねるウィルクスに、ハイドは顔をこわばらせた。すぐに「いいや」と首を振る。
「後悔はしていない。こうなるってわかってて避妊しなかったんだから。でも、正直怖いよ。自信がない」
大柄な逞しい体をしゅんとさせて言ったハイドに、ウィルクスは目を細めた。待合室のソファに腰を下ろしながら言う。
「おれも、自信はないですよ」
「全然、ないんだ。きみも知ってるね。ぼくは親父の女遊びの延長でできた、産まれる予定のない子どもでね。そのせいもあると思うが、避妊具をつけるよう、少年のころから親父に叩きこまれた。女遊びはいいが妊娠はさせるな、と言うんだ。怖いんだよ。ちゃんとした父親には絶対なれないと思う」
「なれますよ、あなたなら。穏やかで、おおらかで、優しい人なんだから」
「でも適当なとこ多いし、むりだよ。お説教とかできないと思う」
「じゃあ、おれがしっかりします」手を握ったまま、ウィルクスが言った。
「それなら、少し怖くなくなりませんか?」
「なんだかきみにたくさん負担をかけそうで怖い。それに、子どもの人生をめちゃくちゃにしないか怖いんだ」
「あなたが愛しているかぎり、子どもの人生は大丈夫ですよ」
そこがいちばん不安なんだ、という言葉をハイドは飲みこんだ。ウィルクスが手を握ったまま、泣きそうな顔をしている。ハイドはすぐに「ごめん」と言った。
「弱音を吐いてばっかりだ。こんなこと言っていたら、きみも不安になるな。後悔はしていない。ちゃんとした父親になるよう、努力する。頑張るよ。ぼくなんかに左右されない大人に育ってほしい。そしてきみを大事にする子に育てるんだ」
ウィルクスは目元の力を緩めた。待合室の隅で、大勢の出産を待つカップルたちに囲まれながら、二人は隠れるようにして抱きあった。
「どうなるかは、おれにもわからない」きつくハイドの体を抱きしめて、目を閉じたままウィルクスが言った。
「でも、うれしいんです。なんでこんなにうれしいのかわからないけど、すごくうれしい。こうなったこと、おれは受け入れられる」
ぼくもそう思えるように頑張るよ、とハイドは言った。一度大きくぶるっと震えた。
「きみと約束したもんな。富めるときも貧しきときも、健やかなるときも病めるときも、きみがひとりのときも身籠もっても、ずっといっしょに生きていくって」
「あなたはほんとに、おれのこと大好きなんですね」
ウィルクスは笑った。ハイドも笑って、「うん」と答えた。
体を離して、彼は言った。
「妊娠がわかったから、これからはますます食事のメニューに気をつける。たしか妊婦さんは葉酸を十分摂ったほうがいいんだ。それに、きみも刑事の仕事が忙しくてもちゃんと食べるんだよ。あ、あと絶対禁煙」
「そのつもりです」
ウィルクスは男性らしい眉を吊り上げて、きりりとした顔で目を輝かせる。
「あなたもつきあって禁煙してくれますか?」
「もちろん。あとでいっしょに出産のしおりを読もうね」
「逃げだしたいほど怖いとしても、あなたは逃げなかった。やっぱりあなたは、立派な人です」
わからないよ、とハイドは思った。彼はウィルクスの頭を撫でて、それからその腹もちょっとだけ撫でた。
ハイドはパートナーの目を見て、はっきり言った。
「愛してるよ、エド」
目を細めて、ウィルクスは微笑んだ。
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