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ひとりの男に恋をし、自分の命すら投げ出すこともいとわない、情けない男になってしまった。もうあの方の命令に付き従うことができない。クイーン にも迷惑をかけるとわかっているのにとまらない、とまれないんだ。彼を思う気持ちで胸が溢れかえってしまいそうなぐらいに。
「“罪深き人間 に罰を与えよ。子どもを食い殺す悪の根源たる野蛮な大人は大罪なり。子どもが餌食になる前に殺せ”」
『……ええ、そういう連中を殺すのが私たちのお仕事。お父さまもおじいさまも先先代もずっと、その掟を守ってきました』
「真の意味で法を遵守する人間は清廉潔白で、やつらを裁ききれないところがあります。特に子どもの時から悪魔だった者が大人になれば、同じ暗黒に染まった罪人が仕留めないかぎり、いつまでも被害者の悲しみの連鎖は断ち切れません。最悪これから生まれてくる子どもたちが新たな犠牲者となってしまう。だから僕はキング を仕留めます」
復讐の鬼である僕が彼になにかできることがあるとしたら、それは彼の命を脅かす者をこの世からすべて抹消すること。そのためなら、だれが犠牲になっても何人の命が失われてもかまわない。
『……そう。あなたの決意は固いのね。なら、私はもうなにも言いませんわ。でも、あなたの夢と私の夢が叶うように微力ながら、お手伝いをさせてもらいます。お父さまや愚弟の部下達の邪魔をするかわりに、こんなに素敵なプレゼントをいただけたんだもの』
涼太さんの親衛隊だった子たちの何人かを彼女に保護してもらった。どうやら、彼らは元気に向こうでも上手くやっているようだ。
すべてが終わったら、この国へ帰ってくることができるように準備も進めている。
静流にも、ひどい大人達のことなんか忘れて、優しい人達と接し、その温もりを感じながら新しい人生を歩んでほしい。
「もったいないお言葉です。それでは、また」
電話を切って僕は自嘲気味に笑った。
だって――「また」なんて口にするなんて馬鹿みたいだ。彼女ともう一度会える保証なんて、どこにもないのに……。
ひとり、生温かい風に吹かれながら、星も月もない真っ暗な夜空を見上げていた。
※
――今日のお客さんはそこそこ有名な大学病院の教授だ。
俺、実は結構この人好きなんだよね。お医者さんだから人体の知識もあるし、顔と頭髪がちょっとって感じで年齢=恋人なしだったって本人言ってるけど、それ冗談? ってぐらいに紳士的で超いい人。
性行為も今まで関係持ってきた連中と違って乱暴で雑だったり、マニアックなプレイを無理強いしてきたりしないし。キスも愛撫も俺のことを考えながらやってくれて、本当に嫌だって言ったことは絶対にしない。お互いを思いやりながら、快楽を求めるなんてことは初めてだった。
そんな人だからかな、他のお客さん相手にする時みたいに、もしかしたら俺のところ来る前に他の相手とヤったんじゃないかなんて疑心暗鬼に悩む必要も、病気を移される心配もしないで済む。
おまけにたわいない会話をするだけの日があったり、アフターで外出デートするのすごく楽しい。なにより、あの業界では結構有名な人みたいだから、特に仲良くしておきたいんだよね。
あれ? 俺、沢山の人に愛されたいと思うようになって……なんで権力を持ってる人ばかりを選ぶようになったんだっけ?
「え? 今なんて……」
そういう行為を終えてホテルのシャワーを浴びた俺を待っていたのは、残酷な現実だった。
「ああ、鳳凰 病院の院長・宇野原雅之 氏の一人息子である静雅 さんが離婚したそうだよ。なんでも、ご主人の仕事が多忙で夫婦関係が冷え切ってしまった寂しさから、奥方である流美 さんは元・マネージャーであった男と不倫をし、その間にできた子どもを認知してしまったせいだとか……」
その言葉を聞いた瞬間、目の前の風景がぐにゃりと歪 み、急に動悸が激しくなる。世界はチカチカと点滅し、右側頭部がズキズキと痛み始めて思わず頭を抑える。
――なんで?
確かにお袋は不倫をしてた。それは言い訳もできない真実だから認める。
でも、それは親父が先に男と不倫していて、お袋を愛そうとかけらも努力しなかったからだ。お袋が離婚したいって言っても、じじいは「嫁として家に入った女が離婚を言い出すとは、うちの息子と宇野原の家を馬鹿にしているのか! なにより離婚などしたら世間体が悪いだろう!!」と許さないの一点張りだったんだ。
「流美さんのような女性がどうしてこんなことをしたのか、僕にはさっぱり理解できないよ。過去に清楚系お嬢さま歌手としてブレイクした有名人だからか、マスコミ関係が面白おかしく取り上げてるみたいだ。だけど、残念だな。大ファンだったのに……」
「あの、先生」
「なんだい、ルミくん。あれ……随分と顔色が悪いみたいだけど、大丈夫かい?」
「平気です。あの、それで流美さんは……?」
口の中が嫌にからからと渇く。お袋はその後どうなったんだ。
「あれ、今時の子で彼女の名前を知ってるだなんて。ちょっと意外だね」
「その……実は僕も、彼女のファンなんです。彼女が歌ってる声、優しくて、温かくて。……子どもの時から、ずっと聞いてますよ。CDとか、古い写真集やポスターを買い集めてしまうぐらいに――――好きなんです」
「そうだったんだね。だとしたらとっても悲しいね。どうやら彼女は今回の一件で、実家から勘当され、手に持っていた職も失ってしまったそうだよ。ネットでも今すごく叩かれているし、情報が錯綜しているんだ」
「そんな……嘘……だろ、」
口の中が変に渇いて苦い味がする。
あの女 が俺を愛してくれないことも、育児放棄していたことも百も承知だよ。彼女に怒りや憎しみといった負の感情がないわけないし、今でもあの人をお袋と呼びながら、自分を生んでくれた「母親」として見れない。どんな風に位置づけすればいいのかわからないんだ。
だからって、なんであの人だけがこんな目に遭うんだ。
どうしてあの男 だけが世間から叩かれず、いつまでも金も地位も名誉も失わず、大人になってからも親に守られて、同性の恋人 と付き合っていることすらばれずに、好き勝手にのうのうと生きていられる? どうして天罰のひとつでも落ちないんだよ!?
「まったくだよ。OBの大先輩であっても、顔の面識があるだけで親しいわけじゃないから、本当のことも聞けないしね。古参のファンの間では、静雅さんにも何かしら非があったって憶測が飛び交ってるし……まったく集団心理ってものは本当怖いよね。なにより彼らの子ども、どちらもがかわいそうだよ」
「うっ……」
ああ、だめだ。
――――気持ちが悪い。
口元を抑え転がるようにして浴室へ駆け込む。トイレの便座を上げ、胃からせり上がってくるドロドロでグチャグチャしたものをすべて便器の中へぶちまけた。
喉が酸で焼かれていき、口の中が苦くて酸っぱい味で満たされる不快感でいっぱいになる。しかも頭を鈍器で殴り続けられるような、痛みが断続的に襲いかかってくる。
永遠に続くのではないかとも思えるような、四肢がバラバラになってしまうような苦しみに脂汗がぶわりと全身からにじみ出し、身悶える。
涙も鼻水も吐くこともとまらない。――こんな惨めで汚くて情けない姿は人に見せたくし、見られたくないのに。
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