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 ――ちょっと待って。  学園にいた時、生徒会顧問と庶務が自殺した。なんでそうなったのか理由はよく覚えてないけど、どちらも刃物を使用していたって。警察が介入して現場検証したけど、まさか、そんな……。  男は俺の目の前で膝をつくと俺の体をギュッと抱き締めた。  こいつは権兵衛、それともジャック。はたまた、ただの恐ろしい人殺し(犯罪者)?  ……権兵衛もジャックもいつだって俺に優しくしてくれた。  でもこの男は俺が逃げられないように腰をしっかりと抱いて、首の後ろに針のような細い刃物をあてがっている。 「君はあの学園で一番僕が関わった人だから、情が湧いてしまったんだ。だから叔父さんを消してあげたし、仕事だって紹介してあげた。偽名だって考えてあげたよね」  でもね、と彼が言う。  ギュッと体を抱き締められれば抱き締められるほどに、体温や匂い、肉感を思い知らされる。同時に全身が心臓になってしまったような感覚に陥る。これは、目の前の男が怖くて恐ろしくて堪らないから、それとも……  その答えは、いたってシンプルなものだった。  ――うん、やっぱり変わらないよ。  あの学園で過ごした日々がお前にとっては偽りだとしても……俺にとってはかけがえのない時間だった。  自分よりも細い手首をした権兵衛の手を引いて歩いたり、走ったりするのが好きだった。肩を抱いて馬鹿笑いする度に嫌そうな顔をして耳を引っ張り、小言を言いながらかまってくれるのが嬉しかった。  馬鹿みたいなことで悩んでる時に俺の好きなホットコーヒーを入れて、なにも聞かずに隣に寄り添ってくれる。そんな気づかいが、何より身に沁みた。  子どもだった頃の俺は確かに母親の愛を求めていた。だけど、成長していくうちにそれが喉から手が出るほど欲しくても自分には手に入らないものだわかって、自然とあきらめていたんだ。大人へ近付くうちに無意識に、別の「愛」を求め始めていたことに気付きもしないで。  だから委員長達のことを憎んだり、妬んだり、羨ましいと思った。  だって、彼らはいつだってどんな人にも優しく親切で、素敵な人達に囲まれて、家族から無条件に愛されているから。お互いを思い支え合っている素敵な|カップル《恋人》。俺の憧れていた理想の家族のを絵に描いたような人達だ。  俺のせいで学園の中がめちゃくちゃになって、委員長は涼太達をはじめとした生徒会の連中やその親衛隊から糾弾された。学園のみんなが、なんの罪もない風紀の人達を的にしたんだ。なのに、それでもあんたと先生は俺のことを心配してくれた。  多分なんとなく俺の心が荒んでいたことや権兵衛に惹かれていることに気付いていたから、俺を攻撃するのではなく、嫌うのでもなく、先輩として注意をするという行動に出たんだと思う。  委員長に言ってみたかったな。「俺にも命をかけても守りたいと思うものができたんだ。それに、自分のことが少し好きになれたよ」って。きっとあんたは馬鹿みたいに「よかったね」って言って、自分のことのように手放しに喜んで笑ってくれるんだろうな。  ……触れたいと望んで、それでも叶わないと思い続けて焦がれていたものが今ここにある。ずっと欲しかったものは、前から俺の中にあったんだ。  でも、それは想像していたような温かくて柔らかくて自然と安心するものではなかった。  氷のように冷たく固い。それなのにひどくひび割れ、かけてしまった硝子細工のようで慎重に扱わなければすぐに壊れてしまう、脆く儚いもの。  そして――おそらく彼もこれと似たようなものをその胸に抱いてくれているはずなんだ。  ボロボロで歪で不格好かもしれないけど、受け取ってほしい。そして、俺も彼のそれをちゃんと受け取りたいんだ。  例え、彼が悪い人だったとしても俺は――。  俺は震える腕で目の前の男を抱き締め返そうとして、あと思った。首の後ろがじわりじわりと熱くなり、生温かい液体が首筋を伝っていく。 「さっさと元の世界に戻って僕のことなんて忘れなよ。普通の平和な、平凡な暮らしをするんだ」  俺の体を拘束していた腕が離れていく。不意に、今ここで彼を離してしまったら二度と会えない。そんな気がして彼の腕を強く引き、自分の懐へと引き寄せた。 「ちょっと、なんてことするの!? 刃物持ってて危ないのわかってるでしょ! もし怪我したらどうするつもり!!」  逃げられないように逃げないように背中に腕を回して上からそっと彼を観察する。  必死の形相のくせに小声でしゃべる姿がなんだかおかしくって、殺人鬼のくせにカタカタと肩を震わせているのが可愛くって、刃物の刃先が俺に当たらないようにと握り締めた手から血がにじんでいるのが……悲しくて。俺は――ジャックの唇に口付けを贈った。  好きだという気持ちが彼に伝わるように、彼のすべてを受け入れると誓うように。少しかさついてて、だけどマシュマロみたいに柔らかな唇だった。ただ、慈しみ触れるだけのキスに彼はピクリと動きもせず、目をこれでもかというぐらいに見開いていた。 「……なに、して?」  抵抗も攻撃もせず目をぱちくりさせて呆けている姿は俺の見知った権兵衛やジャックそのもので、なんだか嬉しくてつい声を上げて笑ってしまう。 「あははっ、変な顔。ジャックの方こそ今日百面相し過ぎじゃない? ウケる―!」

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