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第53話
「あ……寒いのかなって思って。息が白くなるか確認してみた。ちょっと暑いから上着脱ぐね」
この真冬に変だよなぁと笑いながらダッフルコートのトグルボタンに手を掛けた。
するとすかさず透にその手を取られ、結空は動きを止めた。
「脱いじゃだめ。結空、匂い濃くなってる」
「え……」
「お前今日薬は?」
曽根崎にそう問われ、薬?薬……と思考を巡らせる。曽根崎も知っている結空の薬は一つしかない。
発情抑制剤だ。
「その様子じゃ持ってなさそうだな」
「え、でも、発情期にはまだ早いし……」
「だけど結空のその匂いはΩのフェロモンだよ。だめだ、帰ろう結空。渡辺達に言ってくる」
透は結空の体を曽根崎に押し付けるようにして前方を歩く渡辺達を追いかけて行った。
透の後ろ姿を見ながら気持ちが一気に暗く沈んでいく。
「焼肉行きたかった……」
「んなのいつでも行けんだろ。行ってやるから誘えよ。ほら、これ羽織れ」
いつの間にか曽根崎が着ていたダウンジャケットを脱ぎ、結空の肩にかける。
身体が熱いというのに更に着こませようだなんて、冗談じゃない。
「い、いらないっ。暑いんだよ。これ以上着こんだら熱中症になる」
「この寒さで熱中症はねぇだろ。っつーか、その雌猫の匂いを覆いてぇんだけど」
「はぁ!?何だよ雌猫って!ほんとに失礼な奴だな、もう!」
「この人混みで発情したらここにいる知らねぇ奴らにお前マワされんぞ」
「そんなこと……」
そんなことない、と反論したかったがそうも言ってられないと自分でもわかった。
曽根崎と言い争っているうちに、どくん、どくんと、血流が中心に集まる感覚に襲われた。
あれ……うそ、ほんとに発情?
でも、オシッコかな。
あまりに急激な体調の変化だったので、もしかしたら尿意かもしれないと、発情という現実から目を逸らしたいあまりにあり得ない思い違いをしてしまった。
実際少し催していたのは事実だったので、出せばすっきりして治るかもしれないと思い込んでしまったのだ。
自分は発情していない、と頑なに言い聞かせたかったのかもしれない。
「ちょっとトイレ」
「おいちょっと待てっ」
曽根崎が伸ばした手をひょいと躱す。
このままじゃ曽根崎に犯されかねないと本能的に悟り、そこから逃げ出そうとしていた。
きょろきょろと近場のトイレを目で探す。
どうやら結婚式場へ戻るのが一番手っ取り早そうだった。
「ごめん!すぐ戻るから!」
振り返ってそう叫んだが、曽根崎はいつの間にか数人の女性に囲まれ腕を引っ張られていた。
視線は結空を追っていたが曽根崎は女性達を追い払う素振りも見せず、腕を引かれ、抱き着かれてされるがままだ。
───俺じゃなくてもいいんだ……。
「って、何だよあれ。自慢か!」
結空は曽根崎も、曽根崎を取り囲む女達も。そのどちらもが気に入らず、唇を尖らせて元来た道を戻り始めた。
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