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第116話
結空を見詰める柏の顔は、ふざけているわけでもなく普通の状態に見えた。
「じゃあお願い」
柏のことは好きじゃない。けれどこの教室を一人で掃除するよりは柏の手でも借りたほうがマシだろう。
結空は用具箱から箒をもう一本出し、教室に入ってきた柏に手渡した。
「こっちは掃いたからそっちの隅掃いてくれる。俺バケツに水入れてくる」
「あぁいいよ。水は重いから俺が汲んでくる。矢萩は箒がけしとけよ」
「え、あ、うん」
なんで?と調子が狂う。指笛で結空をバカにした柏と大分印象が違う。自己紹介の時の罪滅ぼしのつもりだろうか。しかし結空は素直に柏の言葉を受け止めることができない。
結空は人の親切心にいつしか警戒するようになり、柏に急に優しくされたことにも不信感を募らせる。
悶々となんで?どうして?と頭の中で繰り返しているうちに、水を張ったバケツを持って柏が教室へ戻ってきた。
結空が掃き終えたところを柏が水を絞ったモップで拭く。
黙々と作業を続け、10分ほどで床掃除が終わった。
「あとは机と椅子戻せば終わりか?」
「うん。悪いな」
「いや、別に……」
机と椅子を並べ直しながら柏が言った。
「からかうようなことして悪かったな。まさかお前泣くとは思ってなくて」
「……」
泣いたことを指摘され、結空が顔を赤くする。
小さな子供でもあるまいし、あんなことで泣いてしまった自分が恥ずかしい。
「その、俺さ、Ωのこと勘違いしてたみたいで」
「勘違い?」
「あぁ。Ωの奴が身近に今までいなかったから。ほら、赤峰みたいな感じでΩって女王様気どりな奴ばっかりなのかって思ってて。それにヒートっていうんだっけ?発情期は特例で学校休めるんだろ?それも狡ぃって妬んだり、男のくせに男誑かして気持悪ぃって思ってた」
「気持悪くて悪かったな」
指笛の件といい、面と向かって気持悪いと言ったり、柏は本当に失礼な奴だと結空は思った。
「だから、悪かったって。あの後、俺呼び出されたんだよね。教育実習の片貝に」
「……なんで?」
「お前に謝れって。片貝、あいつαなんだって。で、母親がΩだから、Ωがどんなに大変かってことを聞かされてきたんだと。だから俺にも教えてやるって……。まぁ要は説教されただけなんだけどな。ヒートの苦しみとか、男がΩになる大変さとか」
「そうだったんだ」
「でさ、好きな子にちょっかい出してる子供みたいだなって片貝に言われて。そんな風に矢萩に誤解されても困るし……」
そう話す柏のちょっと困った表情がおかしくて、結空がクスと笑った。
「うん。わかった。もういいよ。俺ももう気にしてないから。あ、そうだ……。俺の机に油性ペンで落書きしてあったんだけど、それは柏がやったんじゃないのか」
「落書き?いや、知らねぇけど」
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