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第117話

柏が嘘をついているようには見えない。 どうやらあの落書きは柏じゃなさそうだった。 柏でなくとも、Ωへの偏見は強いのだろう。誰が落書きをしたとしてもおかしくない。 女子生徒にもΩってだけで疎まれているのだから、犯人捜しはきっと難しい。 「あ、でもお前気をつけろよ。俺はあんまりよくわかんねぇんだけど、お前の匂いがいいとか、やりてーって言ってる奴らはいるからな」 「誰?」 「誰って、クラスの大半がそう言ってる。赤峰は取り巻き連中に守られてるみてぇだけど、お前はそういうのないだろ」 「うん。でももう慣れた。ヤりたいって言われても実際学校で手を出してくる奴は殆どいないし平気」 結空のフェロモンは発情期でなくても時々うっすらと出ることがある。それがαだけでなくβをも惑わせることも知っている。けれどそんなに強く作用するほどの量ではない筈だ。ほんの微量、飛散しているのだろう。 それにきっと稀にしかいないΩへの興味から、ヤりたいという言葉が出たのではないだろうか。 そう考えると、こんなことでくよくよしている場合ではない。 頑張ろう。 結空は改めてそう思った。 帰りがけに柏と連絡先を交換した。柏から見た結空は、小さくて弱そうに見えるらしい。 変な奴に言い寄られたらボコってやるから連絡しろということだった。 ボコるだなんて穏やかではないけれど、結空は嬉しかった。 恭也とルイの他にまた一人友達が出来たのだ。 そしてきっかけを作ってくれた片貝に少し感謝した。 片貝の教育実習期間は2週間限定だ。 その間でこんなにも片貝の印象が変わるとは思ってもみなかった。 始めこそ結空は片貝によいイメージを持っていなかったのだが、柏の一件で片貝の印象ががらりと変わった。 ただの暑苦しい熱血教育実習生から、気を許せる教育実習生に変わったのだ。 「矢萩、これ運ぶの手伝ってくれないか?」 廊下で片貝とすれ違い、声をかけられた。 次の移動教室で使う印刷物を両手いっぱいに持っている。 「すごい量ですね。俺半分持ちます」 「助かる」 片貝の手から印刷物を半分くらい受け取って、結空は並んで歩きだした。 「視聴覚室まで頼むわ」 「わかりました」 結空は片貝の顔を盗み見るようにして目をやった。 片貝は何も言わず自分を気にかけてくれている。教師として当然のことをしたまでだと言われればその通りだが、驕り高ぶらないαというだけで好感が持てた。 「片貝先生、この間はありがとうございました」 「ん?」 「柏のこと。あいつ俺の掃除手伝ってくれて謝ってきたんです。話を聞けば片貝先生に説教されたって。先生にΩのこと聞いたって言ってて」 「あぁ、あいつか。なかなか物分かりのいい奴だったぞ」 「はい。おかげで友達になれそうです」 「それはよかった。俺がここに居れるのもあと1週間だけど、出来るだけ目を光らせてモラルやマナー違反、規則違反はびしびし罰していくからな」 「え……それは怖いかも」 罰するだなんて冗談で言っていると思った。 「どうしてだ?何か罰されるようなこと、矢萩もしてるのか?」 「いえ、してないです」 結空が片貝を見上げると、片貝はにこりと微笑んだ。

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