139 / 145

第139話

その後センター試験を間近に控え、結空は両親と一緒に病院を訪れた。 副作用が少なく効き目の強い薬を処方してもらう為だった。 どんなに値が張ったって構わない。βとして生きてきた17年間を突然一気に覆された高校2年の春。 何の心構えもなく、その1年と数ヶ月後には番が2人もできてしまった。 きっと妊娠出産も、そう遠い先の話ではなさそうだ。 この先の息子の未来を思えば、今ここでやりたいことをやらせてあげなければこっちが後悔すると、両親はそう感じていたに違いない。 両親の気持はひしひしと痛いほどに伝わってくる。 結空は処方された最新の発情抑制剤を手にし、俺は幸せだよ、ありがとう、と伝えることしかできなかった。 (どうかこの先の俺を見ていて。もっともっと幸せになってみせるから) 同じ年の4月。無事受験を終えた結空達3人は、学部は違うが同じ大学に進学。 その4年後には、それぞれ社会人としての第一歩を歩み始めることとなる。 透は教育学部を経て、私立中学の数学教師に。 曽根崎は政治経済学部を出た後、家業を引き継ぐ為の第一歩として、代議士秘書となった。 そして結空は───。 「ゆらせんせい、さよーなら!」 「さよなら!また明日ね」 結空の視線の先には、緑のスモックを着た園児達の後ろ姿があった。 常に発情というリスクと隣合わせで過ごしてきた結空だったが、Ωになってから大きく自分の中に芽生えた確固たるものがあった。 年を重ねるごとに結空の本能が母性を芽生えさせ、結空はいつしか子供そのものに興味を抱くようになったのである。 それにより、得意だった国語を学ぶ為に在籍していた文学部から、教育学部に転学しその中にある子供学科を学び幼稚園教諭としての資格を得、現在結空が住むマンションからほど近い幼稚園で先生として働いている。 「さあ子供たちの降園が済んだところで、結空先生、教室と1階トイレのお掃除お願いしますね」 「はい」 先輩教諭にモップを渡され結空はにっこり微笑みながら返事する。 微笑んではいるものの、幼稚園教諭は想像以上の重労働だった。 何しろ子供たちの体力は結空の想像を絶するものがあり、登園から降園までの保育時間を勤務しただけでもかなりの疲労を感じてしまう。 降園後は、教室や講堂、トイレの掃除もしなければならないし、明日の教材の支度もしなければならない。 やることは山積みだった。 (子供が好きって気持がなきゃこれはやってけないよなぁ……) 結空は壁に貼られた子供たちの絵を見ながら軽くため息を吐くが、可愛らしい絵の数々を見て自然と顔が綻ぶのを感じる。 どんなに大変でもやはり子供は可愛いと思う。 きっとこれは自分にとって天職なのだろうと結空は感じていた。 慣れない仕事を終えて、帰宅の途に就く。 現在結空は、透と曽根崎、2人と一緒に同じマンションで暮らしている。 結空より遥かに透と曽根崎の方が高給取りで、2人に家賃はいらないと言われたのだが結空はその三分の一を支払い、本当は家賃を同等に支払いたかった思いと帰宅が一番早いからという理由もあって、家事も率先してよくやるようになった。 結空は帰宅途中でスーパーに寄り、鍋の具材を選んでカゴへぽんぽん入れていく。 疲れているからか体が重く、凝ったものを作る気には到底なれなかった。 只々、疲れた……と、重い足取りで歩いているとポケットの中で携帯が震えた。 透からのメッセージだった。

ともだちにシェアしよう!