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第2話
コンコン
ホスト控室の扉を軽くノックするが返事はない。あるとも思っていない眞秀は気にせずにそれを押し開く。
壁際にずらりと並ぶロッカー。部屋の中央に置かれたローテーブルとそれを囲むように置かれた黒のレザーソファー。そのソファーの1つに、男が一人寝そべっていた。先程の話にあった琉人だろう。
緩いウェーブがかった茶髪で、体格的には眞秀とほぼ同じ。顔色は血の気が引いて白く、額からは冷や汗が滲んでいる。これはかなり辛そうだ。
手に持ったグラスを一旦テーブルに置き、琉人の横にしゃがみこむ。冷やされたタオルをそっと額に当てると、薄らと瞼が持ち上がった。
「………」
言葉を発する気力もないのか、無言で眞秀を見つめてくる。その辛そうな様子に、思わず眉を顰めてしまった。
ここまで無茶をさせた痛客が毎回こうであるなら、さっさと出禁にするべきだ。
苛立たしく嘆息し、琉人の乱れた前髪を優しく横に払いのけながら、少しずつ冷タオルを動かして汗を拭っていく。
「あまりに酷いなら病院に連れていくけど?」
琉人の体に響かないよう静かに小声で問えば、少しだけ頭が横に動いた。これは否定か…。病院に行くほどではないのだろう。
こちらを見上げる瞳を覗き込み、とりあえず吐き気のピークが去っている事を読み取って少しばかり安堵した。
「水分を取ったほうがいい。俺が支えるからゆっくり体を起こせるか?慌てなくていい」
琉人の瞳に拒絶の色がない事を見て取り、その肩下に手を入れて優しくゆっくり上体を起こすのを手伝う。
なんとか体を起こさせたものの、一人で座るのは無理そうだと判断し、琉人の背中側に腰を下ろしてその体を自分に凭れかけさせた。
酔っているせいか、体が熱い。
先程テーブルに置いたグラスに手を伸ばし、それを琉人の口元に宛がうと、ヒヤリとした冷たさを感じたようで一瞬眉間のシワが深くなったのがわかった。でも、柑橘系のさっぱりした匂いにつられてなのか、グラスを傾けると同時に少しずつ飲み込んでいく。
3分1ほど減ったところで、一旦グラスを離した。
ぐったりした琉人の目が、何…と少しだけ不服そうに見上げてくる。その様子が不機嫌な駄々っ子みたいで、思わず苦笑してしまう。
「吐いたばかりだから一気に飲むとまた気分が悪くなる。少しずつゆっくり飲めばいい」
その言葉に納得したのか、微かに頷いた琉人はホゥ…と一息ついて体の力を抜いた。
この分なら大丈夫だろう。…明日の二日酔いまでは面倒見きれないが…。
そんな事を思って、また琉人の口元へグラスを持っていこうとしたとき、ガチャリという音と共にいきなり扉が開いた。
遅刻のホストか、もしくはまた誰かが潰れたのか…。
琉人の様子を気にかけながらも横目で流し見た先にいたのは、なんとも色気漂う男だった。
サラリとした艶のある金髪が、違和感なく似合っている。身を包むスーツは一流品で、髪の先から足のつま先まで洗練された完璧な装い。顔は冷たく整い、その瞳に浮かぶのはクールな傲慢さ。醸し出す空気に夜の濃さを感じる。
――あぁ…ナンバー持ちか。それもたぶん、ナンバー1か2辺りの。
「…なにアンタ」
容姿と声が比例している。なんとも艶めいた低い声に鳥肌が立ちそうになった眞秀は、よくこんなの捉まえたな…と黎一の手腕に脱帽した。
「眞秀といいます。黎一に…オーナーに頼まれて、今日から内勤で」
眞秀の説明に軽く頷いた男は、次に目線を琉人に向ける。
「あぁ…この子は痛客に潰されて、様子見をしているところ」
「へぇ…そう」
大して興味がなさそうな返事に、眞秀の意識はまた琉人へ戻った。残りを飲ませてしまおう。
グラスを寄せようとしたところで、それまで大人しくしていた琉人が身動ぎして顔を動かした。
「…貴祥さん…、お疲れ様です」
「…あぁ…」
それだけの言葉を交わすと、貴祥と呼ばれた男はロッカーに私物を入れてすぐに控室を出て行ってしまった。
その姿が消えたと思ったら、琉人がさっきよりももっと遠慮なく眞秀に凭れかかってくる。
「飲めるか?」
「うん、飲む」
だいぶ調子が戻ってきたのだろう、どことなく甘さが含まれた声がハッキリとした言葉で返ってきた。
ただし、自分で飲むつもりはないようで…。仕方なくグラスを傾けてやる。
ゆっくり減っていくそれが空になるまでにそう時間はかからなかった。
酒に慣れているからか、吐くだけ吐いて休んで水分をとったら、復活してきたらしい。もぞもぞ動き出したかと思えば、体をクルリと反転させて何故か眞秀に抱き付いてくる。
「え、ちょっと、なに」
「ンフフフ~、眞秀さんイイ匂い~」
スーツの胸元に顔を寄せられてスンスン匂いを嗅がれる。どんな変態だよ。
肩に手をかけて押し離そうとしても、琉人は意地でも離れようとしない。
酔っ払いじゃなかったのか、この馬鹿力。
そのまま思いっきり体重をかけられて圧し掛かられ、気付けばソファーに寝転がる事になってしまった。
上から見下ろしてくる琉人の顔は、無邪気にニコニコしている。
「……体調良くなったみたいだな」
「眞秀さんの看病のおかげで」
「それは良かった。じゃあどいてほしいんだけど」
「やだ」
ニッコリ笑顔で即否定ってなに。
「やだって…なんで」
「眞秀さんから離れたくないから?」
「……完全に酔ってるみたいだな」
「そうかなぁ~?」
無邪気な笑顔が近づいて、鼻先がぶつかる寸前で止まった。クスクスと笑う琉人の吐息が唇に当たる。
「…慣れてるよね~、眞秀さん」
「なにが?」
「普通の奴なら、ここまで男に顔近づけられたら慌てるよ?」
わかってはいたけど確信犯か。眞秀が慌てる姿を見たかったのだろう。
魔王黎一とのそれはそれは濃い友情のせいで、同性に対してそれなりの免疫がついているのは良い事なのか悪い事なのか。眞秀はもうこれくらいでは一欠片も動揺などしない。
「俺を揶揄っても楽しくないだろ。もう離れなさい」
わざと年上口調を使い、琉人の右頬をピタピタと軽く叩く。それでも嬉しそうに目を細めるのだから、琉人は人に甘えるのが得意なのだろう。そしてきっと、それをホストとして武器にしている。
チュッ
「………」
「考え事してるなんて余裕だな~もう」
軽く唇に触れたのは、琉人のそれ。なんだかもう怒る気もしない。
「…お前、犬っぽい」
見えない尻尾がブンブン振られている気がする。
「犬に噛まれたと思って無かった事にする気?」
「いや、本当に犬っぽいと思っただけ」
「ふぅ~ん?…まぁいいけど」
ようやく満足したのか、琉人がゆっくりと身を起こした。それに合わせて眞秀も起き上がる。
ソファーに擦れて乱れた髪を手櫛でざっと整えてから、嘆息混じりに立ち上がった。
酔いつぶれたプレイヤーを介護しにきただけのはずなのに、何故こうなったのか…。
「…じゃあな」
まだソファーに座ったままの琉人の頭を軽く撫で、空になったグラスを手にして控室を後にした。
一方。パタンと閉じたドアを見ていた琉人は、誰もいなくなった室内でまたソファーに寝転がり、どこか嬉しそうな表情で自分の唇をそっとなぞった。
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