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第4話
店と裏方とを遮るドアがしっかり閉まっていないのか…、暫くして店の方から開店直前のミーティングの声が聞こえ、BGMが流れてくる。
そして更に経ってから、女性の声と共にざわめきが大きくなった。
Lumiereの開店だ。
調理主任のさっちゃんが持ってきてくれたアイスティーを一口飲み、今朝までに出揃った昨夜の売上をまとめる。
黎一が経営しているホストクラブには、ある一つの特徴がある。それは何かというと『掛け売りをしない』という部分だ。
ほとんどのホストクラブは掛け売りをしている。要はツケ払い。
月末までに客が払ってくれない場合、担当ホストが自腹で払う事になる。それでも、次に来た時に払ってくれればいい、が、そのまま姿を消す客もいる。
いわゆる『掛け飛び・掛け逃げ』だ。
最後に『掛け飛び』をするつもりで高額の酒を入れられでもしたら、たまったもんじゃない。
それで身を潰したホストを何人も見てきた黎一は、自分が経営するホストクラブでの掛けを全面禁止にした。
普通に考えれば、それは悪手だ。面倒くさいと、足が遠のく客もいるだろう。それなのに黎一は『掛け無しでも来たいと思わせる店にすりゃいいんだよ』と鼻先で笑った。
そして、このLumiereが国内のホストクラブで5指に入る売り上げを誇っている事実。
従業員を守りつつ、客も逃がさない。もうこれ天職だろ。眞秀はそう思う。
「眞秀さんいますか!」
物凄い勢いで事務室の扉が開かれた。
昨夜の数字を会計ソフトへ入力する事に熱中していた眞秀の肩がビクリと揺れる。多少の睡魔に襲われていたこともあって、不意打ちに心臓が縮み上がった。
「…ッ…なに」
完全なる八つ当たりだが、扉を開けた新人ホスト君を見る目付きが剣呑になってしまう。
先日呼びに来たのと同じ青年。甘さが漂うイケメンな新人ホスト君は、眞秀の視線を受けて一瞬固まったあと、
「ウェイターお願いします!!って先輩が!」
何を焦っているのかそれだけ叫んで勢いよく走り去って行った。
……俺の返事を聞いてから行ってくれ…。
言いたい言葉を飲み込んで深く溜息を吐き出す。
仕方がない。ヘルプじゃなかっただけマシだ。
椅子から立ち上がり、壁際に掛けてあったジャケットを羽織って身なりを整えると、手櫛でざっと前髪をかき上げつつ店へ向かった。
「実 さん、兼業ウェイターは何をすれば?」
バーカウンターに寄りかかった眞秀は、その奥でカクテルを作っている自分と同年代くらいの男に声をかけた。
黒髪をオールバックにしている物腰の落ち着いた人物。
他人に興味がないように見えるのに、何かと気を使ってくれる人だ。
「チカの席にそれを持っていって下さい」
目線で示されたのは、キープボトルと思われるリシャール。思わず目を見開いてしまった。
リシャールを入れてくれる客など滅多にいない。かなりの太客なんだろう。
感心しきりのままトレーに手をかけた時、実の言った『チカ』という名前にフと記憶が遡る。
初日に黎一が気にしていたホストだ。
『貴祥とチカは同伴か』
貴祥とは控室で会っている。
あの人と同レベルという事か…。それならこの酒がここにあるのも頷ける。
なんとなく興味がわいた眞秀は、リシャールとタンブラーと灰皿、そしてアイスペールが乗ったトレーを腕に乗せ、軽やかな足取りで歩き出した。
実に教えてもらった席へ辿り着き、そこにいたチカと思わしき男の姿に、思わず口端が上がりそうになるのを堪えて優雅に片膝を着く。
「失礼致します」
黒髪ロングストレートの美人へ挨拶をし、トレーに乗せていた物を音を立てずに優しくテーブルへセットしていく。
灰皿を新しい物へ交換してから立ち上がり、さり気なさを装ってチカと呼ばれている人物をチラリと流し見た。そしてスッと目を逸らして歩き出す。
…なんで俺の事見てんのこの人…。
目が合ってしまった事への動揺をおくびにも出さず、足早にバーカウンターへ戻った。
「実さん。あの人どういう人?」
眞秀は居ても立ってもいられず、シェイカーを振る物静かな男へ問う。
筋肉質で厚みがある体格。黒髪短髪に男らしい顔立ち。貴祥の冷たい傲慢さとはまた違う、獰猛な迫力のある男だった。
ハッキリ言って、この店のホストの中で貴祥とチカだけ格が違う。
よくこんな人間を二人も捉まえられたな…。
眞秀は、賞賛したくもないがせざるを得ない気持ちで黎一を思い浮かべた。
「宗親さんは、この店のナンバー2です」
チカと呼ばれていた男は、宗親 というらしい。見た目の迫力とは裏腹に面倒見がよく、後輩たちにも慕われているとの事。
…面倒見が良い割には、目付きが物騒だったけどな…。
一瞬目が合った時に感じたのは、隙を見せたら食いつかれそうな獰猛さだった。
ウェイターとして下手な事はしていない。だから不機嫌にさせてしまったわけではないと思う。それなのにあれは…。
思考の海にハマりそうになった時、またカウンターの上に酒が置かれた。今度は可愛らしいピンク色のカクテルだ。
「これは昂平 さんのテーブルへお願いします」
「かしこまりました」
今宵はウェイターとして終わりそうだ。
眞秀は諦めの笑みを浮かべてトレーを手にした。
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