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第5話

*―――*―――*―――* 深夜0時。 平日という事もあってか、今宵は比較的ゆったりと時間が流れている。 9割のテーブルが埋まってはいるが、休日前夜のように席が足りなくて初見さんをお断りするような事もない。 という事は、眞秀がウェイターをする必要もないわけで。こんな風に裏口の外で休憩する事も可能だ。 「この仕事もなかなか楽しいだろ?」 「………ソウデスネ…」 裏口から路地へおりる短い階段の手すりに寄りかかっている眞秀は、同じく隣で手すりに寄りかかっている黎一を横目で流し見た。 紫煙を燻らせ、心地良さげにそれを肺に取り込んでいる。吐き出す際に目を細めるのは、黎一の昔からの癖だ。そんな姿がセクシーだと、大学時代には盗撮画像があっちこっちで飛び交っていたのを思い出す。 「なんだ、楽しくねぇのか」 「平穏な生活を愛する俺とは真逆の位置にある仕事を楽しいと思えるわけないだろ」 気が緩んでいたせいで本音がダダ漏れだ。まぁ黎一だからいいや。 「へぇ…?」 「…なに」 隣から覗き込んでくる顔がニヤニヤしている。食えない性格の黎一は、よくこういう表情を浮かべる。どうせ碌でもない事を考えているのだろう。 なんとなくイラっとして、黎一の唇から煙草を奪い取った。 吸うつもりは無かったのに、なんとなくの流れで深く煙を吸い込んでみれば、久しぶりだったせいか頭の奥がクラクラする。 少し噎せそうになったのを意地でも堪えて、黎一の口元へ煙草を持っていくと、パクリと唇で挟んで眞秀の指から引き抜かれた。 「マホの涎の味がする」 「変態かお前は…」 真顔で呟く黎一に思わず顔をしかめた。 余計な事をしなければよかったと毎回後悔するが、毎回新しい変態技を繰り出してくる相手に、今のところ太刀打ちできる術が見つからない。この歳まで付き合ってきて見つからないならもう無理だろ。そんな気がする。 「まぁ…お前にプレイヤーやれとは言わねぇから安心しろ。俺以外の奴に本気で傅かせるつもりはないからな」 「お前に傅くつもりもないけどな。…そもそも俺はヘルプもやりたくないんですけどねレーイチさん」 「どうしても人手が足りない時は仕方ないですねマホロさん」 言い出したら聞かない黎一の思うとおりに動かされるのは気に入らないが、自分でどうにもできないのだから仕方がない。 人間諦めが肝心だと悟ったのはいつの事だったか…。 ムスッとして顔を背けた眞秀の頭を、宥めるように優しくポンポンと撫でる黎一。まるで子供扱いのそれが気に入らなくて、頭を触る手を除けようとした、その時。 裏口の扉が静かに開いた。 現れた人物は、そこに眞秀達がいるとは思わなかったのだろう、一瞬動きを止めた後にワザとらしく溜息を吐き出している。 「なんだ貴祥。お前こんなところで油売ってる暇ねぇだろ」 「オーナーこそ、こんなところで何してんですか」 相変わらずの艶めいた色男。温度を感じさせない瞳は初めて会った時と同じ。 その瞳がチラリと眞秀に寄越された瞬間、妙な緊張が胃の腑を走った気がした。 「見てわかんだろ。マホとイイ事してたんだよ」 「お願いレーイチ君、いっぺん死んで?」 眞秀の口から垂れ流れる毒に、言われた本人は何が楽しいのかニヤリと笑む。 「イイ事してたところを邪魔するつもりはありませんが、さっき店長が探してましたよ」 貴祥の言葉に舌打ちする黎一の顔には、もう先ほどの笑みは跡形もなく消えていた。 店長って誰だ、と思った矢先 「実の野郎…、嫌がらせだろ」 まさかのバーテンダー実さんが店長だったらしい。どうりでさりげない気遣いが上手いわけだ。 嫌々溜息を吐き出した黎一は、手すりから身を起こして扉へと足を向ける。その途中でふと振り返って貴祥を見ると、 「…貴祥、そいつに手ぇ出すんじゃねぇぞ」 碌でもない事を言いのけた。 「いいからお前は早く行け」 眞秀の呆れ混じりの言葉に鼻先で笑った黎一は、明確な答えを返さなかった貴祥にもう一度視線を向けてから店の中へと戻って行った。 「………」 「………」 偶然居合わせただけの2人が無理に会話をする必要はないのだが、だからと言って無言のままいるのも居心地が悪い。特にそれが一癖も二癖もありそうな相手なら尚更。 狭い踊り場スペースに立ったまま、口端に咥えた煙草に火を灯す貴祥。 オイルライターの匂いが微かに鼻先を掠めたと同時、眞秀は手すりから身を起こした。 よく考えたら、貴祥に付き合ってここにいる必要はない。外の空気も吸った事だし、事務室に戻ろう。 階段を数段のぼり、貴祥の横に立って裏口の扉へ手を伸ばした。が、その手はノブを握る事は出来なかった。 「…っ……なに」 眞秀の手を握るのは、柔らかさのない男の手。貴祥だ。 思いもよらない事態に、眞秀の肩がビクッと震える。 反射的に一歩後退ろうとしたけれど、それを察した貴祥の手に力が込められ、引き寄せられた。 黎一と同じか、もしくはそれより少し高い位置かもしれない貴祥の瞳が、遠慮なく眞秀を覗き込んでくる。 視界の端に映る金色の髪が、その端正な顔によく似合っている。だからと言って眞秀が見惚れるわけもなく。 指先に煙草を挟み持っている貴祥の片手が頬に触れてきた瞬間、それを軽く払いのけた。 貴祥の行動の意味が分からない。威嚇かと思いきや、目の前の瞳は冷たいほどに無表情だ。 「…仕事に戻るから、手、離してもらえる?」 掴まれた手を強引に振りほどいてもいいが、同じ職場の人間とあまり険悪な空気にはなりたくない。 どうしたものか…と眞秀が視線を下へ落とすと、間近から艶めいた溜息が聞こえた。 「…あんた、オーナーの何?」 「………え?」 感情のない声色なのに、どこか色気を感じさせるのはさすが。なんて、感心してる場合ではなく、その声が紡いだ言葉に思わず視線を上げて貴祥の顔を凝視してしまった。 「…黎一の何って……、何?」 意味が分からず問い返せば、表情は変わらずともどこか苛立たしい気配が漂ってくる。 「そういうはぐらかし方は好きじゃない」 「はぐらかした訳じゃなくて、質問の意味がわからない。黎一の何…って、普通に友人だけど?」 距離感は妙に濃いけど友人だ。親友と言っても過言ではないくらいには一番親しくしている。 それの何が気になるのか、間近から見下ろしてくる視線は相も変わらず冷たい。 「…手、離してもらえるかな」 互いの体温を感じられるほど近い距離から逃れたくて再度手を引いてみると、意外な事にするりと離された。 意味の分からないやりとりに少しだけ気になるものはあるけれど、眞秀は何も言わずそのまま踵を返して今度こそ扉を開けた。 店内へ戻る眞秀の後ろ姿に、貴祥の低められた声がぶつけられる。 「…あんたがオーナーの恋人で、楽に金を与える為にここに連れてきたのかと思った。俺達は、オーナーがあんたに金を貢ぐ為にこの店で利益を出してるんじゃない。もしそんな理由であんたがここに来たなら、本気で追い出しにかかりますよ」 扉が閉まる寸前に聞こえたそれに驚いた眞秀が振り返った時には、もうすでにその姿は閉じた扉の向こう側だった。

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