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第11話
*―――*―――*―――*
「眞秀さあああああああん!」
30分くらい前に出て行ったはずの蓮司が何故かまた戻ってきた。
そろそろ開店する時間のはずだけど、ミーティングはどうした。
そんな眞秀の胡乱な眼差しに一瞬固まった蓮司だが、すぐに気を取り直した様子で事務室に入ってきた。
「はいこれ!どうぞ!」
席に座る眞秀の前に差し出されたのは、黒色と茶色でセンス良くラッピングされた両手サイズの箱。
反射的に受け取ってしまったが、とりあえずお礼の前に言いたい事がある。
「蓮司くん?」
「はい?」
「片膝着いて差し出すのはやめようか」
「え」
眞秀の座る椅子の横に片膝を着いて、恭しく箱を捧げ持たれても困る。反射的に受け取ってしまったけれど、精神的に地味なダメージを食らった。
「すみません、なんか眞秀さんってそういう雰囲気あるから」
シュンと眉尻を下げた蓮司を殴ってもいいだろうか。そういう雰囲気ってなんだ。
相変わらずツッコミどころ満載の蓮司に溜息を吐いた眞秀は、とにかく立つように促してから、渡された小箱を右手から左手に持ち替えた。
「えーっと、で、これは俺に?」
記念日でも誕生日でもないのに何かを貰うというのが不思議で、意味が分からず首を傾げつつ問うと、いつものように蓮司の顔が赤くなる。
「いえ、あの、眞秀さんが元気ないように見えて…、っていうか、悩んでるように見えたので!」
「え?」
「それ!俺のオススメなんです!落ち込んでる時に食べると浮上するくらい美味いんです!」
「…俺、悩んでるように見えた?」
「!!!!!…ももももしかして俺の勘違いすっか!?」
「まぁ…、うん、悩んでいたといえば悩んでいた、けど」
「よかった~!」
いや、よかった~って……。悩んでいたのを喜ばれたのは初めてだ。
どうにも斜め上にずれている蓮司の無邪気な様子に、ついつい顔が緩んでしまう。
こういう弟がいたらいいなーなんて思いながらその頭を撫でると、顔を真っ赤にしてうめき声を上げる挙動不審者が出来上がった。面白い。
「ありがとな、蓮司」
「いえ!ぜんぜん!そんな!もったいないお言葉をっ!!」
………どうしよう、笑いたい…。
口元を片手で抑えて、込み上げる衝動をなんとか堪えていると。
「蓮司!早くしろよこの残念王子が!!」
いきなりバン!とドアが開いたかと思えば、中堅ホストの昂平が怒りを露わに飛び込んできた。
「昂平さん!?」
「残念王子の分際でミーティングに来ないとかナメてんのか?あぁ!?」
「ひぃぃぃいっ!すみませんんんん!!じゃあ眞秀さん失礼します!!!!」
「…が、頑張って」
後ろから襟首をつかまれて引きずられていく蓮司を、引き攣った笑いで見送った眞秀だった。
せっかくだから…と貰った箱を開けた途端、甘いカカオの香りが立ちのぼる。
中には8粒のチョコレート。全て違う種類だ。
甘党ではないが、美味しいチョコレートを少量食べるのが好きな眞秀には、嬉しい贈り物。
残念王子だと言われているが、蓮司がとても優しい青年だという事はこの短期間でもよくわかった。
心づかいが嬉しくて、気持ちがほわりと暖かくなる。
1つ口に放り込むと、オススメというだけあってとても美味しかった。どこのカカオ豆を使っているのか、微かに花のような香りを感じる。
…さて、さっさと仕事を済ませよう。在庫確認は終わっているから、足りない分を発注して…。
机上にある在庫管理表を確認し、仕入先への発注メールを作成する。
品名や数量を間違えないように何度も確認しながら入力していると、また事務所のドアが開いた。
誰だと疑問に思うよりも先に届いた香水の匂い。
黎一だ。
眞秀が視線を向けるまでもなく歩み寄ってきた黎一は、その机上にあるチョコレートにいち早く気が付いたようで…。
第一声が、
「…へぇ…」
だった。
明らかに貰い物とわかるラッピング仕様の箱。
……魔王様のご機嫌が微妙に下がったようで何よりです。
「……なに」
「うまいか?」
「かなり好みの味」
「どこの」
「知らないけど、蓮司がくれた」
「蓮司ねぇ…」
机の端に浅く腰をかけた黎一の声音がどこか思案気で、なんとなく不安になる。また碌でもない事を考えていそうでイヤだ。
「レーイチ君?チョコくらいで余計な事しないでね?」
「俺はそこまで狭量じゃねぇよ?」
「………」
どの口が言うんだよこの魔王様。これをもらう原因となった“思い悩んでいた理由”の一人はお前だぞ。
眇めた眼差しに何か感ずるものがあったのか、黎一は暫しの間無言で眞秀の顔を眺め、そして嘆息した。
「………理由は」
「俺が悩んでるように見えたから、これを食べると気持ちが浮上するって」
「………」
そこで珍しく、黎一が揶揄るでもなく魔王発言をするわけでもなく、視線を下へ落とした。伏せられたまつ毛の影が存外に長く感じられ、思わず魅入ってしまう。
真顔で何かを考える様子は、どこか思い悩むようにも見えて…。
本当に珍しいその姿に、眞秀は茶化す事もできず押し黙った。
「…………俺は、後悔とか思い悩む事をしねぇ性質なんだわ」
「知ってる」
「ただ、お前をこの店に引っ張ってきた事には、思い悩む部分がないでもない」
「…今更、なに…」
いきなり話し始めたかと思えば、驚くほど素の黎一で…。微かな動揺に、返す言葉が掠れる。
そんな眞秀の様子をチラリと見おろしてきた黎一の眼差しに暗い熱が宿ったように見えて、思わず目を逸らした。
「手元に置いておきたいから引き寄せたんだが…、それはそれで余計な虫が付く」
「余計な虫って…」
「いっその事、俺の家で飼われるか?」
「…は?…いや、ちょっと、何言ってんだ」
どうせいつもの意地悪な笑いを浮かべているのだろう…と思ったのに、仰ぎ見た黎一の顔は冷静さを感じさせる無表情だった。
「…黎一?」
小さな呼びかけにフッと笑いをこぼした黎一は、眞秀の髪にクシャリと指を絡ませて息が触れるほど顔を近づけてきた。
「じょーだんだよマホちゃん」
目元を眇めてニヤリと笑う姿と緩んだ空気に、肩の力が抜ける。
眞秀もいつものように黎一の腕を払いのけて「ふざけるなバカ」と毒を吐いたけれど、胸の内に微かな重みを感じていたせいか、声に弱さが滲んだ気がして歯噛みしたい気持ちになった。
黎一の真顔は心臓に悪い。変な話だが、冗談めかして意地の悪い事を言う黎一には慣れていても、素の黎一に対面すると動揺してしまう自分がいる。
冗談には冗談で返せるからいいけれど、素には素で返さざるを得なくなる。たぶんきっと、それが怖い。
黎一が本音をぶつけてきた時、それまでの何かが壊れてしまうような気がして、これまでもふわりふわりと逃げてきた。…いや、黎一が逃がしてくれていたのかもしれない…。
こみ上げる苦い気持ちを吐き出すように嘆息した眞秀は、眉をしかめていた自分に気づくと、それを誤魔化すように頭をふるりと横に振った。
その後黎一は、チョコレートを一粒つまんで口に入れ、「あ、マジでこれうまいわ」なんて感心するように呟きながら事務所を出て行った。
いったい何しに来たのか…。
これまでも黎一は何を考えているのかわからない部分が多々あった。が、最近は特にそれを感じる。たいてい誤魔化すように茶化されて終わるけれど…。
…本心が見えないのは、信頼されていないせいか、…それとも…。
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