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第13話

眞秀は、その客の中でも一人だけ記憶に残っている女性がいる。 名前は知らないけれど、エキゾチックな顔立ちのスタイルの良い美人で、最上級とも言えるエース客だった。 遊びには本気にならないタイプに見えたけれど、実際そうではなかったらしい。 …いや、相手が黎一だったからかもしれない…。 本気になり、結婚を迫り、そして振られた。黎一の顔にはなんの情も浮かばず、ビジネスライクにあっさりと。 『ホストに本気になるもんじゃねぇだろ。それがわかっていない女とは続けられない』 偶然にもその場面に遭遇してしまった眞秀は、彼女の鬼気迫る仄暗い瞳の色を今でも覚えている。 「その後も、結婚してくれないなら死んでやるって脅しをかけてたらしいけど、黎一には逆効果だった。…でも、いつの間にか店に来なくなったらしい。今頃どうしてるのか…」 当時のそんな事を懐かしく思い出しながら語る眞秀に、「さすがオーナー…」と感嘆たる溜息を吐き出した琉人だったが、何を思ったのかいきなり耳元でフフっと笑いをこぼした。 警戒に身を捩った眞秀の耳朶に唇を寄せた琉人は、甘い声を囁きに変えて 「眞秀さん、その女に嫉妬した?」 そんな事を聞いてきた。 「…は?」 思わぬ言葉に唖然として、身動ぎしていた体も固まる。 嫉妬って…、意味がわからない。 「っていうかオーナーと眞秀さんってただの友達?違うよね~?」 「ねぇねぇ、オーナーとエッチしたことある?」 「否定しないんだ~…。ちょっとショックだけど納得もするなぁ…」 背後から次々と放たれる言葉は、眞秀が上手く誤魔化そうとするのを防ぐように畳みかけてくる。 言葉を挟む隙もないまま、鼻先で笑って躱すタイミングを逃してしまう。 さすがとしか言いようがない。これじゃ今更否定する事もできない。 きっとたぶん、これが本題だ。眞秀と黎一の関係性を探りたかったのだろう。 カマかけに近いそれに乗せられてしまった自分は、情けないくらい不意打ちに弱いのだと思い知った。 琉人に言われた事で、大学時代のとある記憶が鮮明に呼び起こされる。 出来るだけ思い出さないようにしていても、こういう時にふと蘇る。 …淫靡で甘い、忘れたい自分…。 『…っはぁ…んっ…、やめ…ッ…、っぁ…、ンぁッ…』 『もっと啼け…ッ…、く…ッ…、お前の中、最高にイイ』 『あぁっ…、ンッ…、い…ぁン…っ…』 『ほら、もっと欲しがれよ、……俺に堕ちてこい、眞秀』 酒に酔い、よくわからないまま快楽に飲み込まれたあの夜。 何故あんな事になったのか、酔いすぎていた眞秀の記憶は曖昧だった。ただ、黎一と濃厚なセックスをしてしまった事だけは覚えている。 たった一夜の出来事なのに、あの時の事を思い出すと、今でも体の奥底で何かが熱を訴えてくるようで、唇から吐息がこぼれ落ちた。 そして琉人は、自分の腕の中で艶っぽくため息を吐く眞秀に情欲を煽られた。シャツの裾を引きずり出し、そこから手を差し込んで脇腹を撫でる。 「…ッ…琉人、何する」 「…はぁ…っ、俺も眞秀さんを抱いてみたい」 「バカな事言うな、…ッぁ」 背後の琉人を肘で押し退けようと抗うも、それより先に胸の突起に触れた指に強く摘ままれ、反射的に声をあげてビクリと体が震えた。 「へぇ…眞秀さん感度イイ~」 「待…ッ、琉人さ…っ」 更に強く乳首を抓られ、こぼれそうになる声を押し殺そうと唇を噛みしめた。眉をギュッと顰めて、痛みと共に覚えのある感覚から意識を反らす。 身を捩って逃れようとしても、腹にまわされた腕は強く拘束してきて、手慣れた様子で胸を弄られる。腰に走った甘い疼きに、一瞬抵抗の力が抜けた。 蹴り上げようとした膝がハンドルにぶつかって呻くと同時に、耳朶に琉人の熱い息が触れる。 「そんなに抵抗しなくてもいいのに…、気持ちいいでしょ?」 「ッ…ふざけるな」 琉人の腕を掴んで引き剥がそうともがいていると、首筋をぬるりと舌が這い、舐められたのだとわかった。そして触れる唇。 途端に、黎一のお仕置きを思い出して喉奥がキュッと引き攣った。 痕なんて付けられたら殺される。 「冗談じゃなく、ばれたら殺されるからやめろ…ッ」 「殺されてもいいよ」 「違うっ、殺されるのは俺の方だからやめろって言ってるんだ」 そう返されるとは思っていなかったのか、虚を突かれたように一瞬黙り込んだ琉人は、次の瞬間ククククっと抑えきれない笑い声をあげた。 「眞秀さんってちょっと女王様体質だよね~。まぁそういうとこも好きだけど」 「誰が女王様だよふざけるな」 「っていうかさー、前から思ってたけど、なんで俺の事“さん”付け?」 「なんでって…、プレイヤーだから」 「蓮司は?」 「……あれは例外」 「ふぅ~ん。なんだかんだで蓮司の事お気に入りだよね~」 「まぁ、そうかもな」 「なんかムカつく。今度蓮司いじめてやろー」 「…アイツ本気で泣きそうだからやめてあげて?」 気が付けば、車内の空気から色めいたものが薄れていく。それは琉人も感じていたようで、「あ~ぁ」と残念そうな溜息と共にスルリと眞秀から手を引いた。 「しょうがないから、今日はこの辺にしとくよ」 「是非そうしてくれ」 ようやく解放された体を起こし、乱れた服を整える。まだ疼くような熾火を残す感覚に溜息を吐き、手櫛で髪をかき上げて気持ちを切り替えてから琉人を見た。 何か言いたげな眼差しを向ける眞秀に気付いた琉人は、ん?とあざとく首を傾げる。きっと客なら「可愛い」とでも言って頬を染めるのだろう。 「なーに?眞秀さん。体我慢できなくなっちゃった?」 「そんなわけあるか馬鹿」 そんな眞秀の毒づいた言葉の何が楽しいのか、鼻歌でも歌いそうなくらいニコニコしている。それが素なのか作られたものなのかを読み取らせないくらいには、琉人は腹黒い。 今は何を言っても無駄だろう。そう結論付けた眞秀は、琉人に向けていた視線を戻し、今度こそドアに手をかけて外へ出た。 もうすぐ早朝だという時間帯の空気はどことなく澄んでいてひんやりとしている。微かに熱を帯びている体に、それはとても心地良い。 琉人が降りてくるよりも前に歩き出した眞秀は、タクシーを捕まえるべく大通りに向かって足を進めた。

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