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第14話
*―――*―――*―――*
…振り回されているような気がしてならない…。
眞秀は、自分自身になのか、それとも周囲の男達に対してなのか、じわりと湧きおこる困惑と苛立ちに髪をグシャリとかき乱した。
Lumiereで働き出してからというもの、周りに好き勝手に翻弄されているような気がして仕方がない。
流されやすいのは自覚しているが、それでも本気で嫌ならば殴ってでも抵抗するだろう。それなのに、艶めいた空気に侵されると、嫌だとは思っていても死に物狂いで抵抗できない自分がいる。
どこか背徳じみたあの空気に、恐れていながらも魅せられているのか…。
自分のそんな恥ずべき裏の部分を見せつけられているようで、殊更に困惑する。
耳の奥に、『…淫乱』と、貴祥の囁きが聞こえた気がした
「…あー、もう本当になんなんだ」
先程、業者が酒を納入してきたのを受け入れ、それらの伝票処理を終えてから少し時間が空いてしまったのが悪い。時間に余裕があると、余計な事を考えてしまう。
もうすぐ閉店時間だ。帰ったらシャワーを浴びて速攻で寝よう。それがいい。
――そんな眞秀の予定は、今日もことごとく崩されたわけだが…。
「眞秀さん。プレイヤーのお世話も内勤スタッフの仕事の内です」
「………」
帰ろうと思った矢先。事務室のドアが開いたかと思えば、店長である実が爆弾案件を持ってきた。
曰く、『貴祥がアフターも入れずにフラフラした足取りで帰った。体調が悪そうだったから様子を見に行け』との事。
それは本当に勘弁してほしい。よりにもよって貴祥だ。無理だろ。絶対無理だ。
そもそも、訪れたのが眞秀だとわかった時点で、部屋のドアを開けてもらえないだろう。
そう言って必死に拒否したが、暫し考える様子だった実が躊躇いがちに告げてきた内容に、眞秀は抵抗をやめた。
「オーナーとチカと私だけしか知らない事ですが、実は貴祥は施設育ちなんです。…たぶん色々な事があったのでしょう、ここに来た時には既に人間不信の塊でした。信じているのはお金だけ。自分を大切にしない奴なので、体調不良でも無理をする、そして人に頼らない。…なので、眞秀さんの“大人の余裕”でうまく宥めて、休ませてほしいんです」
“大人の余裕”という部分をいやに強調された気がしたけれど、嫌味か。……嫌味だな。
「眞秀さんの方が5歳も上なんですから、まさか子供みたいな駄々はこねないですよね?」
なんて言われてしまったら了承するしかない。
それに、貴祥のプライベートを聞いて、心が揺らいでしまったのも事実。
なんでそんなヘビーな事情背負ってんだよあいつは…。
人を拒絶している冷え冷えとした瞳が脳裏に浮かぶ。眞秀だけを拒絶しているのかと思ったけれど、そうじゃない。拒絶しているのは“自分以外の全員”か。
「わかったけど…、部屋に入れてもらえなかったら諦める」
「いえ、たぶん、大丈夫ですよ」
パソコンの電源を落とし、スマホを手に持ったところで実の返事に目を瞬かせた。
「…いや、全然大丈夫じゃないと思うけど」
あの貴祥の態度を思い返せばこそ、どう考えても眞秀を拒絶するだろう。それなのに実は大丈夫だと言う。なぜ?
眞秀の戸惑った様子に気付いたのか、珍しく実が苦笑いのようなものを浮かべた。
「チカに聞きましたが、眞秀さんは貴祥にかなり絡まれているでしょう?」
「あぁ、それはもう、坊主憎けりゃ袈裟までの勢いで」
「それ自体がおかしいんですよ」
「…おかしい?」
「基本的に貴祥は自ら人と関わろうとしないんです。あぁ、仕事は別ですよ。彼にとって客は金なので…。そうではなく、悪態だろうがなんだろうが、貴祥が自ら他人に関わるのを私は初めて見るんです」
「………えーっと、どういうこと?」
なんだか妙な事を聞いたみたいでうまく頭が働かない。
眞秀があまりに複雑な顔をしていたからだろう、実の口からフッと笑い声がこぼれた。
「良くも悪くも、貴祥はあなたが気になってしょうがないという事です。ですから、間違いなくドアは開けてくれるはずです。貴方の存在を無視はできないでしょう」
「………」
いろいろ言いたい事はある。反論もしたい。どう考えても貴祥のあれは喧嘩を売る態度だ。
…でも…。
「……ハァ…。わかった。俺も“いい大人”だから…、あいつを休ませるように努力してくる」
「よろしくお願いします。あまりにも体調が悪いようだったら、明日はこちらに来ないよう説得してください」
実の策略にハマったのは間違いない。けど、ここまで聞かされて気にならないわけがない。
24時間営業のドラッグストアはどこにあったかと考えていると、さすが店長、すかさず数種類の薬が入った紙袋と、貴祥の住所が書かれたメモを渡される。
それを見た瞬間、実さんが行けばいいんじゃないか?という言葉が喉元まで出かかったけれど、“5歳も年上の大人の余裕”を思い出してなんとか堪えた。
電車に乗って5個目の駅でおりた眞秀は、そこから10分ほど歩いた場所にあるタワーマンションの前で足を止めた。
さすがナンバー1ホスト。黎一並みの住まいだ。部屋に入れてもらえないどころか、エントランスで門前払いされる未来しか見えない。
実から貴祥へ、眞秀が行くという事を通達したらしいが、既読は付いても返事はないと先ほどメッセージが来た。
完全無視なのか、それとも拒否しないという事なのか、どうにも判断がつかない。
まぁここでグダグダ考えていても仕方がない。
眞秀は、意を決してエントランスホールへ向かった。
入口にいる警備員に会釈をして中に入ると、ホテルロビー並みの豪華さに溜息を吐きたくなる気持ちを抑え、コンシェルジュデスクへ足を進める。
深夜2時という時間にも関わらず爽やかな笑顔のコンシェルジュへ、貴祥の部屋番号と自分の名前を告げた。
もう寝ているかもしれない…と思ったがそれは杞憂で、どうやらまだ起きていたらしい。連絡を入れたコンシェルジュがすぐに話しはじめ、定型の挨拶と訪問者を告げる言葉、そして最後に「かしこまりました」と返して通話を終える。
ここまでスムーズだという事は、きっと追い返されるのだろう。こちらへにこやかに向きなおったコンシェルジュにお礼を言って帰る気でいた眞秀は、次の瞬間言葉を詰まらせた。
「どうぞこちらへ。右側のエレベーターをご利用ください」
「……え?」
「いかがなさいましたか?」
「あ、いえ。ありがとうございます」
まさかの結果に、行動が不審者になってしまう。普通に受け入れられたのが信じられない。
エレベーターの前に案内され、またデスクへ戻るコンシェルジュに会釈を返した眞秀は、実から渡された各種薬が入った白い紙袋を見て溜息を吐いた。
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