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第15話
「…何しに来たんですか」
ドアが開いですぐの第一声。
もしかして、直接悪態を吐きたくてここまで来させたのかもしれない。そんな事を思うくらいには、貴祥の顔は不機嫌に彩られている。
「実さんから連絡いってますよね。押しかけお世話係ですけど」
「あんたバカですか?俺に嫌われてるって自覚ない…ッ…ゴホッ」
突然苦しそうに咳き込みだした貴祥に、もう遠慮も配慮もする気がなくなった。強引にでもベッドに放り込んでやる。
よくよく見れば、顔が赤い。熱が出ているのだろう。眞秀を睨む目付きにもいつもの覇気がなく、微妙に呼吸も荒い。こんな状態でも悪態だけは吐こうとする貴祥に、苛立ちが湧きおこる。
「嫌われてる自覚もあるし嫌ってくれてかまわないから、今は大人しく寝ろ」
ドアを大きく開けて勝手に玄関へ入り込む。靴を脱いで廊下へあがると、辛そうに壁へ寄りかかった貴祥の腕を掴んで奥へ歩き出した。
「俺に凭れかかってもいいから」
ゆっくりとした歩みで進む廊下の途中で、開いている扉に気付いた。どうやらそこがベッドルームらしい。
意外と大人しく着いてきた貴祥の腕を離し、発熱のせいで熱い背中を緩く押してベッドへ向かわせる。力尽きたようにベッドへ倒れ込むその姿に、思わずため息がこぼれ落ちた。これはかなり具合が悪そうだ。
「…申し訳ないけど、実さんから少しだけプライベートの話を聞きました。ここまで体調が悪化している時に一人で過ごすのはキツイんじゃないですか。薬持ってきたからとりあえず飲んで」
「ハッ、店長の話聞いて哀れな施設育ちに同情して来たんですか?それとも情けない姿を見て笑ってやろうと思いました?」
水を取りに行こうとした眞秀の背に放たれた吐き捨てるような声は、力なく掠れていた。こんな状態でも人を突き放す貴祥に、更に苛立ちがこみ上げる。
体調悪い時くらい頼ればいいだろ…ッ。
振り向いた眞秀の瞳に映ったのは、上半身を起こしてこちらを睨むように見る貴祥の姿。
全身に毛を逆立てている野生の獣が、弱みを見せたら食い殺されるとばかりに威嚇しているようにしか見えない。
思わずベッドサイドに歩み寄り、貴祥の肩を掴んで押し倒した。
「貴祥さんには誰も頼れる人がいないって聞いたから来たけど、それが何。こんな熱出して一人で苦しんでる奴を放っておけなくて何が悪い?同情なんてするに決まってるだろ。でもだから何。そんなの、どうせだからこき使ってやるくらいに思っとけばいいんだよ。病人が余計な事を考えるな馬鹿!」
「………」
あまりにイラついて一気に毒吐く眞秀を下から見上げていた貴祥は、茫然と固まっていた。ただ、無表情の中にもどこか困惑の色が混ざっているように見える。
眞秀の言葉が理解できないとでも言いたそうな顔。体調が悪い事もあって、頭がうまく働いていないのかもしれない。
病人相手にさすがに大人げなかったと自覚した眞秀は、一息ついて気持ちを落ち着かせると、貴祥の上から身を起こした。
「……全国でも5指に入る店でナンバー1を張るには、相当な努力と才能が必要だって事くらいわかる。そんな奴が風邪ひいて弱ってるのを、情けない姿だなんて思わない。逆に、こんな時ぐらい素直に年上に甘えればいいだろ…って思う。俺はプレイヤーでもなんでもない、ただの内勤スタッフだ。ライバルでもなんでもないんだから、貴祥さんがどんな姿を見せても気にならない」
「………偉そうに…」
ぼそりと呟いた貴祥は、ごろりと体の向きを変えて壁際を向いてしまった。なんだかそれが拗ねた子供のように見えて、少しだけおかしい。
それから眞秀は、すぐ貴祥に薬を飲ませた。冷凍庫にあった保冷剤をタオルで包んで首元に押し当て、別のタオルで額に浮かんだ汗を拭ってやる。
途中で買ってきたゼリー飲料をサイドテーブルに置き、邪魔にならぬようベッドの足元に腰かけた。
壁際を向いて大人しく横になっている貴祥は、寝てしまったのだろうか。身動ぎもしなければ寝息も聞こえないから、起きてるのか寝てるのかさっぱりわからない。
眞秀がキレて以降、貴祥から一切の悪態も抵抗もなくなった。
手がかからなくて助かったけど、これはこれで妙な感じがする。それだけ具合が悪いのかもしれない。
薬を飲ませて寝かせたら帰るつもりでいたのに、なんとなく心配で去るに去れない。
…はぁ…、疲れた…。
頑固すぎる相手をどうにかこうにか寝かせただけで、精神力がガリガリと削れた気がする。
本当だったら今頃自分のベッドでぬくぬくと眠りを貪っていたはずなのに、どうしてこうなったのか。
……あぁ…、本当に、眠い……。
「……ん……ぅ…」
妙に暑い気がして、ふと意識が浮上する。
…何時…?…なんだかまだ全然寝たりない…。
欠伸をかみ殺して、枕元にあるはずの携帯を手で探った。
………ん?
指先に触れたのは、手触りの良い何か。これは…髪の毛…?
形をなぞるように動かすと、肌のような質感の何かに触れた。
……え?
無理やり開いた瞼を何度か瞬かせる。
「………ッ!?」
息が触れるほど近くに貴祥の端正な顔があった。
驚いて起き上がろうとしたけれど、何かが絡みついて体を起こす事が出来ない。
肩までかぶっている毛布を捲ってみると、貴祥の腕と足が眞秀の体に絡みついていた。
「ちょっ…、なんで」
慌てて腕の中から離れようとしても、背に回された腕は思った以上にガッチリと力が込められていて外す事が出来ない。出来ないどころが、何故か更に強く抱き込まれる。
なにこの状況。え、なんで?
密着している体は、昨夜よりは熱が下がっているように感じる。解熱剤が効いたようだ。
悪化していなくて安堵しつつ視線を巡らせると、もうすでに陽が昇っているようで、遮光カーテンの隙間から明るい光が差し込んできている。
…あー…、あのまま寝てしまったのか…。
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