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第23話

*―――*―――*―――* 昨夜の黎一とのやりとりから結局一睡もできなかった眞秀は、重い体を引きずって出勤し、身を投げ出すようにデスク前の椅子に座った。 『俺に堕ちてくるか、俺から解放されるか。お前が選べ、眞秀』 あのセリフが耳の奥から離れない。あの時の黎一の表情が、脳裏から離れない。 黎一のものになるか、それとも無関係になるか。…そんな両極端な選択肢を選べるわけがない。 黎一と離れたくはない。けれど、黎一の手に堕ちる事も選べない。 黎一のものになる程の覚悟が、…自分にはない。 遊びではない本気の男同士の関係に先はあるのか?マイノリティーの道を選ぶ事ができるのか? もし、黎一のものになる事を選んだら、あの男は容赦なく手加減もなく眞秀の全てを貪り、髪の一筋までも己の色に染めつくすだろう。黎一に溺れ尽くすまで。 何よりも…、それが、……怖い。 ぐるぐる回り続ける思考に溜息を吐き出しそうになった唇を噛みしめて、その衝動を堪える。デスクに置いた腕に顔を伏せて、悩みを切り離すように固く瞼を閉じた。 その時。 「眞秀さあぁぁぁぁん!」 勢いよく開かれたドアと、誰かが飛び込んでくる音。 思わずビクッと肩を揺らした眞秀だったが、今の自分があまりに見苦しい表情を浮かべている自覚がある為に、顔を上げられないまま固まる。 入ってきたのは間違いなく“残念王子”蓮司だ。 なんでこのタイミングで来るんだと、八つ当たりにも近い思いで嘆息し、それでもなんとか表情を取り繕って顔を上げた。 「………」 「……?」 何故か蓮司がじーっと凝視してくる。 真面目な顔をした蓮司はそこそこイケメンだな、なんてどうでもいい事が頭を過った。が、次の瞬間、物凄い勢いで近寄ってきた蓮司が眞秀の頭に手を伸ばし、まるで子供にでもするように優しく撫でてきた。 その手つきはとても柔らかく、温かさが伝わってくる。 ……え……? あまりに予想外の出来事に茫然とする眞秀に気付いたのか、ハッと息を飲んで動きを止めた蓮司は、 「無意識にとんでもない事をしてしまったあああああああ!」 近寄ってきた時の倍の速さで後ろへ飛び退った。 いったいなんなんだ…。 「ちちちちちがうんですよ!俺、歳が離れた弟がいてですね!時々落ち込んでる時にこうすると嬉しそうにするから思わず手が出ちゃったんですうううわあああああ!!!」 …いや、なんかもう落ち着け。頼むから。 蓮司のあまりの慌てっぷりに、変な笑いが込み上げてくる。 じわじわと侵食するその妙な可笑しさに、眞秀の口から笑い声がこぼれた。 「…ッククク、べつに怒ってないから、落ち着けよ」 口元に手の甲を押し当てて抑えようとすればするほど、止まらない。 そんな眞秀を見ていた蓮司は、焦りに引き攣らせていた顔をふっと綻ばせた。 「…よかったー、いつもの眞秀さんに戻ったー」 「……え?」 「さっきは、なんていうか…オーラ?がめっちゃ落ち込んでたんですけど、元に戻りましたね!」 嬉しそうに言う蓮司に、胸の中がほわりと暖かくなった。たぶん何も考えていない素の言葉なんだろう…、優しさがするりと心に染み込んでくる。 残念王子と言われているが、純粋に人を気遣う優しさは、そんな二つ名を打ち消すほど尊いものだと思う。 昨夜からずっと思い悩んで雁字搦めになっていた重苦しさを一瞬で解き放つ蓮司は、本当に凄い。 椅子から立ち上がった眞秀は、ドアの前で立ち尽くしている蓮司に歩み寄り、 「いつもありがとな、蓮司」 その額に自分の額をコツンと当てて礼を言った。 「ぐはっ」 突然変な呻き声をあげた蓮司がしゃがみこむ。 「……え、なに、どうした」 真っ赤な顔をして片手で鼻を覆っているが、その隙間から何やら赤い液体がタラリと滴っているではないか。 唖然とする眞秀と、鼻血を吹いて今にも倒れそうな蓮司。 そしていきなり開くドア。 「蓮司ぃぃぃぃぃぃ!お前またミーティング遅れる気かよ!…は?お前なに鼻血だしてんの!?アホなの!?」 「ズビバゼン!!(すみません)」 「とりあえず行くぞ残念王子がああああああああ!」 探しに来た先輩ホストの昂平に襟首を掴まれた蓮司は、まるでスプラッター映画のような様相で店のほうへ引きずられていってしまった。 プチ嵐のような出来事に立ち尽くした眞秀だったが、またじわりじわりと込み上げる可笑しさに体を震わせて笑いだす。 本当に、あんな弟がいたらいいな…。 胸の内でそんなことを思いながら、蓮司の優しさに感謝した。

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