29 / 51

第28話

*―――*―――*―――* 「美波(みなみ)です!本店に来るのは初めてですが、今日から2日間、ヘルプと他店修行って事でお邪魔しまーす」 祝日の金曜日。黎一がオーナーをやっているもう一つの店から、ナンバー3のプレイヤーが手伝いにきた。 今夜の開店前ミーティングは全員参加だと言われて顔を出した眞秀は、他店舗からのヘルプを初めて見て(そんな事もあるのか…)と少し驚いたが、あとで実に聞いたところ、オーナーが同じ兄弟店では、まぁある事らしい。 170㎝もなさそうな小柄な体型。ミルクティーブラウンの髪はフワリと柔らかそうで、真ん丸の瞳が小動物のように可愛らしい。 琉人とは系統が違うが、“可愛い”を得意としているプレイヤーだというのはなんとなくわかる。年上の客層に好まれそうだ。 「2日間だけだが、存分にこき使ってやれ」 「黎一さんからの命令なら僕なんでもしますっ!」 美波は、ニコニコと嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、横に立つ黎一を見上げている。いつもの事なのか、黎一もそんな美波を呆れたように見下ろすだけ。 その物馴れた二人の様子に胃の奥がツキンと痛んだ気がした眞秀は、ミーティングが終了すると同時にすぐ事務室へ戻った。 黎一が男女問わずにモテるのは昔からだ。今日昨日で始まった事じゃない。付き合っている相手がいる時は断るが、フリーの時は来る者拒まずだという事も知っている。 そんなの今まで何度も見てきたし、誰にも本気にならず遊びで終わらせる黎一に、いい加減にしないと刺されるぞ、と窘めた事もあった。 それなのに、今日の二人の様子には何故か胸の奥でモヤモヤが湧き起こる。 自分がもう黎一の隣にいられないという事が、こんな部分にまでダメージを与えてくる。 あの夜からまだ二日しかたっていないのに、もうこんな事を思ってしまうなんて、この先やっていけるのだろうか。 ……店を辞めて、黎一との関わりを全て絶った方が楽になるかもしれない…。 そう考えた瞬間に胸の内を襲ったのは、狂おしいほどの寂寥感だった。 黎一とは、とても長い付き合いだ。小学校の一年生で同じクラスになって、何故か黎一に気に入られ、気付けば30歳になる今までずっと続いてきた関係。 小中高と同じ学校に通い、大学は別だったものの、それでもプライベートの付き合いが途切れる事はなかった。いや、途切れないどころか、大人になるにつれてより濃くなったかもしれない。 なんとなく、黎一とはこうやって一生続いていくんだろう…と思っていたのに…。 深い溜息を吐き出し、とりあえず仕事をしようと椅子の背に手をかけた時。 「眞秀さああああああん!」 ノックも無しに開いたドアと、叫ぶように名を呼んで飛び込んできた残念王子。 毎回、普通に入ってこないのは何故だと問いたい。それともこれが蓮司の普通なのか…。 そんな事を考えていた眞秀の目付きが胡乱なものになっていく事に気付いた蓮司は、パカリと開けていた大口を閉じた。 「……」 「……」 無言で見つめあう状態は、そう長くは続かない。じわじわと赤くなっていく蓮司がまた鼻血を噴き出す前に、眞秀の方が視線を逸らして椅子に座る。 「それで?今日の用は何かな、蓮司君」 「ひ、人手が足りないからウェイターを眞秀さんに頼んで来いって店長が!!眞秀さんは絶対嫌がるだろうなってわかってるんですけど!店長の絶対零度の視線が怖くて逆らえないんですよおおおおおっ!!」 「わかった、わかったから落ち着け」 涙目になってる蓮司を責めるつもりもなく、苦笑いを浮かべて溜息を吐き出した眞秀は、座ったばかりの椅子から立ち上がった。 今夜は、黎一がカウンターに入っている事を知っているだけに、できれば店に出たくはない。けれど、実に呼ばれてしまっては断る事も出来ない。 「すぐ行くって実さんに言っておいて」 「はいっ!!!」 何故かピシッと敬礼した蓮司は、来た時同様、慌ただしく部屋を出ていった。 「実さん、ウェイター足りてな……いですね」 店に足を運んですぐ、カウンターの中にいる実に声をかけた眞秀は、同じくカウンターの中にいる黎一には敢えて視線を向けずに、店内の様子を見渡した。 金曜日の祝日という事もあり、通常の週末より客数が多い。もう満席だというのに、新たな客も次々と来店している。これはキャパオーバーだ。プレイヤー達も、花を行き来する蝶のように短時間で各テーブルをヒラリヒラリと移動している。 ヘルプに来た美波も目が回るくらい忙しいだろうに、そんなそぶりも見せず慣れた様子で楽しそうに対応している。 「指名の入っていないプレイヤーを全員ヘルプに当てているので、運び手が見事に足りません」 淡々と冷静に答える実の手も、止まることなく次々とカクテルを作っていく。猫の手も借りたいとは正にこの状況の事を言うのだろう。視界の端では、黎一もオーダーの入ったボトルやタンブラーを手際よくトレーにセットしている。 今夜黎一がずっと店にいるのは、美波がいるから?と、そんな邪推をしていた自分が恥かしい。黎一のものになる選択を選べなかった自分には、何かを思う権利さえないのに。 眞秀は、こみ上げてくる苦さを振り切るように、トレーを腕に乗せて早速ウェイター業務に取りかかった。 考える暇もないくらいの忙しさが、こんな時ばかりはありがたい。何も考えずにひたすら動いていれば、あっという間に時間は過ぎるだろう。 …そう、思っていたのに…。 「黎一さんっ、もう僕忙しすぎて倒れそうです!少しだけでいいから甘えさせて!」 「そこまで忙しいなら甘えてる暇だってねぇだろ。どうせ甘えるなら客に甘えとけ」 ヘルプの合間を縫ってカウンターに来る美波が、その都度黎一の腕に抱き付いたりしてベタベタ甘える姿が視界に入る。 気にしなければいいとわかっているのに、どうしても意識がそっちへ持っていかれてしまい、その度に重苦しい何かが胸の奥からせり上がってくる。とても不快なそれがいったいなんなのか…。考えたくない。考えてはいけない。 頭ではそう思うのに、甘える美波のしたいようにさせている黎一に、痛みにも似た何かが溢れそうになる。 …こんなの、まるで嫉妬をしているみたいだ。そんなわけないのに。黎一にそんな気持ちを抱くのはおかしいのに。次々と胸の奥から溢れてくるこのドロドロした苦しい感情は…。 それ以上考えないように、無理やり視線と意識をカウンターの上に戻す。今はそんな事を考えている場合ではない。足を止めている暇はない。 「これはどちらへ持っていけば?」 「チカのテーブルに」 「わかりました」 ボトルをセットされたトレーを腕に、宗親のテーブルへ足を向ける。その時不意に視界の端に映った光景。 背伸びをした美波が黎一の腕を掴んで、自分の唇を黎一のそれに押し当てている姿。 咄嗟に意識を切り離して、足早に宗親の元へ向かった。 「失礼致します」 床に片膝を着いて、テーブルの上にボトルやタンブラー、アイスペールなどを手早く丁寧にセットしていく。 立ち上がって優雅な仕草で一礼をし、静かにその場を立ち去る。 大丈夫。いつもと同じように問題なく仕事をしている。吐き出しそうな思いも、震えそうになる唇も、強張りそうな表情も、うまく全部隠し通せている。 …だから…、大丈夫だ。 そんな眞秀の様子を一瞬だけチラリと流し見た宗親は、何かを思うように僅かに双眸を細めた。

ともだちにシェアしよう!