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第34話
*―――*―――*―――*
12月に入ると、途端に街の空気が華やかになる。
どこもかしこもクリスマス一色で、もちろんLumiereの店内にも煌びやかなクリスマスツリーやリースなどが飾られる。
あまり忙しくない月曜日である今日、大物は開店前に業者に運び入れてもらい、小物は明日の開店前に飾り付けてもらう。
何やら昂平が飾り付けをやりたがっていたらしいが、実が冷ややかな眼差しで断固として拒否したという。
たぶん何かやらかした過去があるのだろう。
10月の頭から働き始めた眞秀にとって、Lumiereでクリスマスを迎えるのは初めての事となる。昔バイトをしていた時はプレイヤー側だった為、内勤として何をすればいいのか、詳細な部分はよくわかってない。
この店の事は、誰に聞くよりも実に相談するのがいちばんだとわかっている眞秀は、開店前のカウンターに寄りかかって実に話しかけていた。
「じゃあ、クリスマスイベントの前までに在庫を多めに用意しておけばいいかな」
「酒や食べ物はこっちに任せてもらって構いませんので」
「わかりました」
そろそろ開店する時間だ。今日はこの辺までにしておこう。
実に会釈をしてカウンターから離れようと思った眞秀の耳に、その声は飛び込んできた。
「今夜はお客さんとして遊びに来ましたーっ」
ついぞ最近聞いた事のある声に振り向くと、私服姿の美波が入店してきたところだった。
入り口近くでプレイヤーと立ち話をしていた黎一の姿を真っ先に見つけた美波は、可愛らしい顔に満面の笑みを浮かべて駆け寄る。
「黎一さん、今日の僕はお客さんですからね! あ、黎一さんを指名しちゃおうかなっ」
「オーナーは指名できねぇよ。知ってんだろ」
「じゃあ大人しくカウンターで飲むだけにするから、それくらい付き合ってくださいよ~」
黎一の腕に抱き付いて甘える美波の声は、絡みつくように甘い。
ざわつく心に蓋をしてその場から歩き出した眞秀だったが、次の瞬間聞こえてきた言葉に、一瞬だけ足取りがブレた。
「わかったから手ぇ離せ。どうせ今日は客の入りも少ねぇし、構ってやるから先に座ってろ」
抑揚のない低い声に、甘い声が嬉しそうな歓声を上げる。
それ以上の会話を耳にしたくなかった眞秀は、止まりそうになった足を強引に動かして事務室へ向かった。
ドアを閉めてしまえば、店の喧騒はほとんど聞こえない。
前髪をぐしゃりとかき上げる事で、先程の光景が思い浮かびそうになるのを振り払い、デスクに着いてパソコンの電源を入れる。
今月はボーナス月という事もあって、いつもより忙しくなる。常連客だけではなく、懐が潤うこういう時だけ遊びに来る客もけっこういるのだ。
私事で思い悩んでいる暇なんてない。勤務時間は仕事に専念しないと…。
そう思うのに、気付くと頭の中では、カウンターに座って黎一に甘える美波の姿が浮かんでしまう。きっと今頃そうやって飲んでいるのだろう…、と。
…あぁもう本当に女々しいな…。いい加減、自分が嫌になる。
なんでこんな気持ちになるのかなんて、考えなくともわかっている。認めたくなくても、そんな自分を誤魔化せないくらい、もうわかっている。
これは、この気持ちは…、
…嫉妬だ。
それが同性の友人に対して持つ感情ではない事も、わかっている。
自覚したくなかった。気付きたくなかった。知らない振りをしていたかった。
それなのに、嫉妬というドロドロした感情が、目を逸らす事を許さない。
つい先日、自分の気持ちに向き合おうと決めたばかりなのに、初めて味わう苦い感情を制御できない状態が苦しくて、すでにもう逃げたくなっている。でも、逃げたからといって、湧き起こる感情を捨てられるはずもなく…。
ホームページのプレイヤーリストを更新し、弾くように押したエンターキーがカチャリと小さな音を立てたと同時に、まるで泣き言を吐き出すように溜息がこぼれ落ちた。
腹の底に溜まる重苦しい何かが増えていき、それを押し出すかのように溜息も深くなる。
これからどうしたらいいのか…。
そんな事を思ったとき、小さな音を立ててドアが開いた。この時点で蓮司ではない事がわかる。
「失礼しまーす」という、ついぞ最近では聞いた事がないまともな挨拶をしながら入ってきたのは、最近働き始めた新人プレイヤーだった。
「どうかした?」
「えっと、眞秀さんですよね?」
「そうだけど」
「美波さんって男性のお客さんが呼んでます」
「……」
胸の奥底でジリっと何かが痛んだ気がしたけれど、それを飲み込んで椅子から立ち上がる。
「わかりました」
ジャケットを手にした眞秀を見てホッとしたのか、ペコリと頭を下げた新人君はすぐに店の方へ戻っていった。
いったい美波がどういうつもりで呼んでいるのか…。考えただけで頭が痛くなる。それでも呼ばれたからには行かなくてはいけない。今日は客として来ているのだから。
眞秀は、ジャケットに腕を通してから身なりを整えると、店の方へ向かった。
「お待たせ致しました」
カウンターに行ってみれば黎一の姿はなく、美波が一人でスツールに座っていた。
表面には出さずともホッとしながら挨拶をすると、振り向いた美波が可愛らしい顔に笑みを浮かべる。
「仕事中にごめんね? プレイヤーでもないのに呼び出したりして」
「いえ、気にしないで下さい」
普通に友好的な態度に、なんとなく面食らってしまった。勝手に身構えすぎたのかもしれない。
…と思えたのは最初だけだった。
「あなたが眞秀さんか~…、ふぅ~ん?」
笑顔のまま、眞秀の全身をチェックするかのように眺める美波の視線に、それまではなかった何かを感じる。
挑発的? 挑戦的?
どちらにしても、心地良いものではない。
「何か?」
「黎一さん電話かかってきちゃって席外しちゃったんだ~。暇だからアナタと話がしたいと思って」
「…そう…ですか」
最初の友好的な笑顔はどこへいったのか…。それはいつの間にか消え失せて、いま美波の顔にあるのは、眞秀を敵と見做した見据えるような苛立ちの表情だった。
「黎一さんが店に連れてきた幼馴染ってアナタだよね?」
「はい」
「黎一さんが、眞秀さんは俺のものだって言ったらしいけど、それって本当?」
「………」
二か月前はそうだった。けれど今の黎一にそういうつもりはないだろう。
どう答えていいのかわからず、沈黙を通す事しかできない。説明する事もできないのだから仕方がない。
だが、答えない眞秀をどう見たのか、美波は苛立ちを表すように嘆息して緩く頭を振った。
「僕ね、黎一さんが大好きなの。二人がただの幼馴染というだけなら、邪魔しないでね」
口調は可愛らしいが、その瞳はあからさまに挑発の色を湛えていた。
“ただの幼馴染”と言葉にしている割に、それをまったく信じていないのがよくわかる。
今夜わざわざ顔を出したのは、黎一に会いに来たというよりも、眞秀を見定めて牽制しにきたという方がメインなのかもしれない。
カウンターの向こうの方いる実がチラリと視線を向けてきたのが視界の端に映る。
そこで少しだけ動揺から抜け出した眞秀は、顔色を変えることなく美波を見つめ、
「プライベートの事にはお答えできませんし、オーナーと美波さんの事に口を出すつもりもありません。話がそれだけでしたら、失礼させて頂きます」
淡々と告げた。
無表情になると、眞秀の端正さは冷たく際立つ。それを目にした美波はどこか悔し気に唇を噛みしめて、プイッとカウンターの方へ向き直ってしまった。
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