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第36話
*―――*―――*―――*
「眞秀さん。俺今日はアフター入れないから、帰りにちょっと付き合ってよ」
金曜日。開店直前に顔を見せた琉人が、そんな事を言ってきた。
週末なんてアフターを望む客が山ほどいるだろうに…。
そう思うが、琉人が言い出したら聞かないのをわかっている為、逡巡したものの小さく頷き返した。
「誰にも邪魔されたくないから個室予約しちゃったー」
深夜1時半。ご機嫌な様子の琉人に連れていかれたのは、洋風の居酒屋だった。
全体的にアンティーク調でまとめられた店内は、眞秀好みの落ち着いた雰囲気だ。
3室だけ個室があるそうで、今日はその一つをおさえたという。
こんな金曜日によくとれたなー…と思ったら、ここの店長が琉人の友人らしく、優遇してもらったそうだ。
「眞秀さん何食べたい?」
「そうだな…、そんなに空いてないから軽くつまむ程度で」
「ん、じゃあ適当に頼んじゃうよ~」
「任せます」
丸形のテーブルに着き、眞秀の斜め前に琉人が座る。そしてメニューを手にしたかと思えばすぐさま店員を呼び出し、慣れた様子でいろいろと頼んでいる。
最後に飲み物を聞かれて、ノンアルの何かを頼もうと思っていたのに思いっきり却下され、仕方がないから度数の低いレッドアイを頼んだ。
さっきまで店の方で飲んでいた琉人も今日はもうそこまで強い酒は飲みたくないのか、同じものを頼んでいる。
「はいカンパーイ!」
仕事終わりで多少なりとも酔っているのか、いつもよりテンションが高めの琉人は、注文品が来た途端に嬉しそうに飲み始めた。
「ねぇねぇ聞いてよ眞秀さん」
「ん?」
「最強のエースつかまえた」
「あー、最近売り上げ頑張ってるなーとは思ってたけど、そういう事…」
「うんうん。無理な事も言ってこない遊び慣れてるお姫様で、お酒好きでガンガン入れてくれるんだよ~」
「本人も楽しんでお金使ってくれるのは理想ですね」
「そうそう、そこ重要」
ホスト業は、客に金を出させなければ仕事にならないとはいえ、渋る相手を宥めて賺して出させるよりも、自分が出したくて出してくれる方がいいに決まっている。
それを考えると、琉人がつかまえたエースはプレイヤーが望む最高のタイプだ。
サラダをつつきながら微笑ましく琉人を見つめていたが、やはり一筋縄ではいかない男。眞秀を見つめてニッコリ笑ったかと思えば、
「頑張ってるご褒美ちょうだい♪」
さすがホストとでもいおうか、おねだりだけは忘れない。
若干黒いものが含まれている笑顔は全く可愛くないし、“ご褒美”がろくでもないだろう事は予想がつく。
フォークを置き、半分ほど残っていたレッドアイを飲み干した。
「…ご褒美は俺じゃなくてレイ……オーナーに言えばいいじゃないですか」
「ご褒美は俺がもらって嬉しいものじゃないとダメだからねー、オーナーじゃ無理無理」
ハァ…と溜息が出てしまったのは仕方がないだろう。
何が欲しいのかわからないけれど、それを叶えるか叶えないかは別としてとりあえず先を促す。
だが、それに対して返ってきた言葉は思いもよらないものだった。
「眞秀さん最近あまり食べてないでしょ。なんか色気に儚さがあるのもそそられるけどさ、心配にもなるよね。だから、俺の目の前でしっかり食べて安心させてよ。それが俺へのご褒美」
「………」
琉人を見つめたまま瞠目した眞秀は、驚きのあまり暫し硬直した。
いつものように揶揄めいた艶事を言ってくると思ったのに、まさかこんな事を言われるなんて…。
「ほらー、早く食べよう。食べないなら俺が食べさせるよ?」
呆けたまま動かない眞秀の様子に笑った琉人が、取りやすいように料理の皿を近くに寄せてくる。
それでもフォークを手に取らないでいると、何故かニヤリとした笑みを口元に浮かべて席を立った。
「……?」
トイレにでも行くのだろうか…と眺めていたが、どうやらそうではないようで、眞秀の横に来て楽し気に見下ろしてくる。
一体何がしたいのかわからない。
戸惑う眞秀を余所に、琉人はサラダの皿からプチトマトを一つ取り、それを口に咥えた。
トマトが食べたいなら自分の席からでも余裕で取れるのに、なぜわざわざ横に来て食べるのか…。
「琉人さん?……ッ!?」
いきなり顎先を掴まれて上を向かされたと思えば、強引に親指で下唇を押さえ込まれ、口を開いたところで身を屈めてきた琉人の唇が眞秀のそれに触れた。
プチトマトが口元で潰され、オレンジ色の汁が唇の端から溢れ伝う。
驚く眞秀の口の中へ無理やり押し込まれたプチトマトを、強く押し付けられた唇と深く絡み合う舌がもてあそび、クチュリと水音が響く。
「…ン…っぅ…んッ」
息苦しさに琉人の腕を掴み、果肉を飲み込む。喉を通るそれがやけに甘く感じられて仕方がない。
口内をまさぐる舌でトマトがなくなった事を確認したのか、そこでようやく琉人の唇が離れた。
呼吸を荒げているのは眞秀だけ。それがたまらなく恥ずかしい。
顎先から離れた指が、眞秀の口端からこぼれ落ちた汁をすくってペロリと舐めとる。唇から覗いた赤い舌がやけに扇情的で、思わず目を逸らしてしまった。
「眞秀さんの唾液が混ざって甘い」
「ふ…ざけた事をいうな」
「全部こうやって食べさせてほしい?」
「………」
本当にやりかねない琉人の表情を見て、諦めてフォークを手に持った。
横でジッと見守る視線に促されて、それぞれの皿から少しずつ自分の分をとる。
それでもまだ納得しないのか動かない琉人に、なんだか笑いが込み上げてきた。まるで、好き嫌いをする子供になんとか食べさせようとする親のようだ。
そう思うと心がフワリと暖かくなる。途端に目の前の料理が美味しそうに見えて、空腹感を覚えた。
「…ん、おいしいですね、これ」
口に運んだレモンバジルソースのチキンソテーが予想以上に美味しい。
「ここの料理はマジで美味しいから、絶対に眞秀さんも気に入ると思ったんだー」
次の料理を口にする眞秀の様子に安心したのか、ようやく自分の席に戻った琉人はホッとしたように目元を緩ませている。
その表情があまりに優しくて、胸の内から込み上げてくる感情に一瞬だけ眞秀の唇が震えた。
振り回されてたはずなのに、気付けば彼らから甘やかされている。
揶揄だったり意地悪だったり口説かれたり…、とにかく困らせられてきたけど、それでも嫌いになれないのは彼らの根本が優しいから。
「…琉人さん」
「なにー?」
「有難うございます」
「なにがー?」
とぼけたようにキョトンとした顔をされてしまったが、そんな優しさがジワリと心に染み込んだ。
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