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第43話

*―――*―――*―――* 琉人の件から3日たった木曜日。 吹っ切れたのか諦観に至ったのかわからないが、表面上ではいつもの調子で仕事についている琉人の姿があった。 これから例のエース客が来るようで、出迎えの為に外へ出て行く後ろ姿を複雑な気持ちで見送る。 無理をしてほしくない、苦しんでほしくない。 親しいからこそ、そんな風に思う。 眞秀は小さく嘆息すると、カウンター越しの実に挨拶をして事務室へ足を向けた。 店内と裏方へ通じる廊下とを隔てるドアを閉めれば、賑やかな音は微かに聞こえるくらいまで静かになる。 元来騒がしい事を好まない眞秀は、店の喧騒から離れた途端にホッとして立ち止まった。 ここに来るまでは音楽講師をしていた事もあって、音の好みにはうるさい。…というより耳が良いからこそ音に敏感で疲れるのかもしれない。 好きではない音というのは、意外とストレスになるものだ。 ひんやりとした廊下の空気を吸い込んで頭をスッキリさせ、事務室のドアに手をかけた。 ガチャガチャッ いきなり聞こえた乱暴な音。 驚いて振り向いた眞秀の目に、裏口のドアが勢いよく開け放たれる光景が映り込んだ。 「今夜はもうこれで終わりだ!おら!!さっさと出ろ!!」 突然の怒声に店内の女性客から怯えの悲鳴があがり、あからさまなヤクザの登場にプレイヤー達の顔も強張る。 大柄な男が近くの観葉植物を蹴り飛ばし、更に威嚇の声を上げる。 「……お客様を連れて店の外に出てください」 さすがの実も表情を険しくしてプレイヤー達に指示を出している。それを目の端にとらえた眞秀は、焦りと緊張に引き攣る口元をきつく引き結んだ。そうでもしないと、吐き出す息さえも震えてしまいそうで…。 数分前。 いきなり開いた裏口から、このヤクザらしき男と舎弟らしきチンピラ。そしてホストのような見た目をした優男と女性が2人入ってきた。 最初はヤクザの凶悪な様相に目を奪われていた眞秀だったが、その背後にいる女性のうちの一人を見て目を見開く事になる。 …なんで、彼女が…。 驚きに固まる眞秀を見たヤクザが、まるで獲物を見定めるような視線を投げかけ、そして居丈高に見下した。 「コイツだな?」 「えぇ、そうよ。…相変わらず嫌な感じだわ」 数年前と変わらずエキゾチックな美貌はそのままに、眞秀をひどく憎い者でも見るような眼差しで見据えた女は、どこか歪な笑顔を浮かべる。 「コイツを捕まえろ」 「はい!」 頭の中で黎一の名を呼ぶ。絶対にここに来てはならないと。 彼女がここにいるという事は間違いなく黎一絡みで、そして間違いなく悪い事が起きている。 ホスト時代に黎一にハマりこんだ客。結婚を迫り、手ひどく振られた彼女。 ………何故今頃になって…。 驚愕に立ち尽くす眞秀に、チンピラ風情の男二人が走り寄る。そして、状況がよく分からないまま両腕を掴まれて背中側に回され、抵抗できないよう拘束されてしまった。 引きずられるようにして店内へ連れこまれ、男の怒声が響き渡る様子をまるで現実とは思えない気持ちで眺める。 さっきまではいつもと同じ普通の日常だったのに、なんでこんな事に…。 センス良く設置されていたテーブルやソファー、観葉植物やライティングが彼らによって破壊されていく。 逃げる女性客と、それを宥めながら外へ誘導するプレイヤー達。彼らの顔にも焦燥と緊張の色が隠せない。 ほとんどの者が外へ出て行き、店内に残るのはヤクザらしき男達と眞秀、そして実と、………宗親、貴祥、琉人だけとなった。 実は、黎一がいない時の責任者でもある店長という立場だからまだわかる。けれどプレイヤーである彼らはここに残る必要はない。巻き込まれる前に早く出て行った方がいい。 腕を拘束されたままの眞秀がそんな思いで3人に視線を向けると、見返してきた瞳がそれを拒絶したのがわかった。 一つ気にかかったのは琉人の表情。宗親や貴祥とは違う、驚きと動揺と悲壮さを混ぜ合わせたような複雑なものを浮かべている。そして彼の目線が時折チラリチラリと向けられる先には。 ………黎一に執着していた方ではない、もう一人の女性がいた。 その顔をよくよく見て、思わずアッとあげそうになった声を噛み殺す。 彼女は…、彼女は先日琉人を枕に誘った、………例のエース客だ。 そこで脳裏に浮かんだ言葉がある。 “美人局(つつもたせ)” これは間違いなく仕組まれた出来事。 そしてこの事態の大本は確実に、彼女――黎一に惚れこんでいたあの女だろう。 「……何の騒ぎだ」 「…ッ!」 突然聞こえた新たな声が、この場にいる全員の意識を奪い取った。 この状況が目に入っているだろうに、相変わらずの泰然とした様子。眞秀が拘束されている事に気付いた瞬間だけは目を眇めたが、それ以外はいつも通り。 気負う様子もなくこの騒ぎの中心へ堂々と歩みを進める男。 「………黎一…」 無意識に眞秀の唇からこぼれ落ちた名前。 一瞬にして全ての視線を集めた黎一は、臆する事もなく男達の前に立った。その際、ヤクザの斜め後ろにいる優男と、その隣に並ぶ例の女を見留めて鼻で笑う。 「サンクチュアリのオーナー南条(なんじょう)と、………亜里沙(ありさ)か。笑える組み合わせだなぁ?」 「っんだと!?てめぇ!」 「やめてよ。下手な挑発にのらないで」 サンクチュアリは、この街で人気度2位か3位くらいのホストクラブだ。そのオーナーである南条氏がなぜ…。 どうやら黎一は察しているらしく、薄い笑みを浮かべている。だが、その笑みが凄絶な迫力を醸し出し、真正面からそれを向けられた南条が勢いを消して押し黙った。 「お前がこの店のオーナーだな」 「あぁ」 「そこのホスト野郎が俺の女に手ぇつけやがった。きっちり落とし前付けてもらおうか」 ヤクザが顎をしゃくって指したのは、予想通り琉人だった。 黎一の流した視線の先で、琉人がグッと歯を食いしばって頭を下げる。 「そこにいる晴夏さんは、琉人のエースです」 宗親の一言で、やはり黎一も美人局と判断したらしい。呆れとも何とも言えない軽い溜息を吐き出す。 「確かアンタ…根元さんは、南条の店のケツ持ち(店のバックにつく代わり、いくらかの利益をもらう)だったな。そして、根本さんの女がうちの琉人のエース客。………ここで一つ疑問がある。その女が何故ここにいる」 睥睨した目付きで亜里沙を見る黎一に、根本がニヤリと笑った。 「亜里沙は南条の女だ」 「………へぇ…?」 眞秀さえ思わず身震いしてしまう程冷たい声。黎一に執着していた亜里沙でさえ、美しい顔を強張らせている。

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