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第44話
「それで?落とし前ってのはどうするつもりだ?」
「あぁ、うちの組がこの店のケツ持ちになる。それと、」
根元の視線が何故か眞秀を見た。その目に浮かぶどこか淫蕩じみた色に嫌悪を感じて、体が震えそうになる。
「コイツをもらおうか」
「なッ…」
驚きの声を上げたのは琉人だった。
自分がハメられて店に迷惑をかけ、挙句の果てには美人局を仕掛けた人物に大切な人を奪われそうになっている。
エース客が出来た事を喜んで気持ちが浮つき、他に気を回せなかった。もしかしたら、よくよく注意していれば晴夏に怪しい部分を見つけられたかもしれないのに。それにも気づかず、今や自分が守りたいものが自分の行いによって傷つけられそうになっている。
後悔と自責の念に押しつぶされそうになった琉人は、震える拳を握りしめ、ただ立ち尽くすしかない自分を心の底から悔やんでいた。
だが、
「断る」
淡々と言い放つ黎一に、誰もが目を向けた。
ヤクザに目をつけられたが最後、この街でやっていく事はもう無理だ。普通なら、それを理解している者は嫌々でも店のバックにつく事を承諾する。利益の何パーセントかを渡せばそれで済むからだ。店ごと潰されるくらいなら、多少の利益を吸い取られる方が余程いい。
それなのに、黎一はにべもなく却下した。
「断れる立場だと思ってんのか?ぁあ?」
これまでのオーナーのように簡単に事が進むと思い込んでいた根元は、まさかの返事に怒りで顔を赤く染めた。
ヤクザは大概にしてプライドが高い。女や舎弟の前で反抗されたのはそのプライドを傷つけるにはじゅうぶんな物だろう。
大股で一歩踏み出し、固く握った拳を黎一に振りかぶった。
それなりに鍛えていて実戦にも強い黎一は、余裕でその腕を掴んでやり返す気でいたが…。
「黎一!あんたが抵抗したらこの男がどうなるかわからないわよ!!」
鋭い声で言い放つ亜里沙の目線の先にいる者。それはチンピラに腕を拘束されている眞秀だった。
黎一は、一瞬も悩むそぶりも見せなかった。
掴んでいた根元の腕を離し、無抵抗でその場に立ち尽くす。それを見た根元が歪な笑いを浮かべて再度腕を振りかざす。
「…っ…黎一!!!」
避けもせずに殴られた黎一は、倒れる事はしないまでも体を大きく揺らして足元をぐらつかせる。唇が派手に切れ、赤い血が顎を伝った。
「面白れぇ…。こいつがこっちの手の内にいれば、お前をサンドバックにし放題か」
腐りきった笑い声を上げて、根本は何度も黎一を殴りつけた。腹を殴り、前のめりになったところで脇腹に蹴りを飛ばす。
咄嗟に琉人が庇おうと飛び出そうとしたが、
「邪魔すればコイツがどうなるかわかってんのかぁ?」
眞秀を人質にされてしまえば拳を震わせて立ち止まるしかない。
宗親も貴祥も実も同じだ。誰も手を出すことができない。
目の前でボロボロにされていく黎一。
眞秀は、自分が枷になっている事が悔しくて情けなくて…。がむしゃらに体を動かして腕の拘束を外そうとした。足で背後にいるチンピラに蹴りを入れようともがいた。それでも、人を拘束することに手慣れているのか解放されることはない。眞秀の抵抗など全く無意味だというように鼻先で笑われるだけ。
本当なら、黎一はこんな風に一方的にやられるような人間じゃない。
……それなのにっ。
「私に跪くなら許してあげるわよ?」
「……笑える…冗談だな」
いい気味だとばかりに笑う亜里沙に、黎一はそれでも変わらず憎まれ口を返す。
「…も…う、いいからっ。…俺の事はいいから、やられるままになってるなよ!」
眞秀の事をもういらないと突き放したのに。それなのになんで!
眼の縁が熱くなる。唇が震える。それでも眞秀は声を張り上げて叫んだ。
「なんでだよ!!俺とお前はもう関係ないんだろ!?いいから見捨てろよ!」
もう耐えられない。
眞秀のせいで、根本にボロボロにされ、亜里沙に見下ろされる。黎一がそんな目にあうのを、ただただ見ているだけなんて。
そんな眞秀に黎一の視線がチラリと寄こされる。床に膝を着きボロボロな状態なのに、…その瞳には甘い優しさが滲んでいた。
どうにもならない感情が溢れそうになるのを必死に飲み込む。喉がグッと詰まる音がした。
その時。
「面白い事になってんな?黎一」
コツコツと鳴る革靴の音。ダークスーツが嫌味なほど様になっている姿。
厚みのある体躯と高身長の美丈夫が、後ろに男二人を引き連れて店内に入ってきた。
眞秀以外、この場にいる他の人間は全員驚きの表情を浮かべている。どうやら見知った人物らしい。
…誰?
根元が小さく舌打ちをしているという事は、彼にとって招かれざる客なのだろうとわかった。
「…高柳さん、あんたが何故ここに?」
「それは俺のセリフだ。何故お前がここにいる、根本」
会話から、男――高柳より根本の方が格下だと判断できる。
腹を押さえ、痛みに舌打ちしながら立ち上がった黎一は、顎に滴る血を手の甲で無造作に拭い、口の中に溜まった血を床に吐き捨てた。
「いい男が台無しだな」
楽しそうに笑う高柳に、黎一は鼻先で笑うだけ。そして一息つくと、鋭い眼差しを南条、亜里沙、そして最後に根元へ向けた。
「…とりあえず眞秀を離せ。話はそれからだ」
ヤクザである根元も、ホストクラブのオーナーである南条も、どうやら高柳を恐れているらしい。渋々ながらも、舎弟らしきチンピラに拘束を解くように指示する。
だが
「ダメよ!そいつがいる限り黎一はこっちのいう事を聞くんだから!そいつを離したらダメ!」
亜里沙が必死の形相で南条に食ってかかる。
「Lumiereよりも上にいきたいんでしょ!?それなら私の言う通りにして!!」
美しいはずの顔は、いまや般若のように歪んでいる。
南条が店と自分のプライドの為に動いているのなら、亜里沙は黎一を跪かせるために動いているのだろう。
……いや、黎一を手に入れる為…なのかもしれない。
そしてヤクザである根元は、Lumiereのケツ持ちとなり利益が手に入るとなれば、自分の懐に転がり込んでくる金が増えるとあって話に乗ったのだろう。
根元の女である晴夏は、言われるがままに琉人を誑かして美人局役。
眞秀の頭の中ですべての状況が繋がった。
どういう事なのか理解できたのはいいが、それでも未だ後ろ手に拘束されている立場としては、依然として緊張は解けない。
先程少しだけ抵抗したせいで、腕を掴む力が増している。関節がギシギシと鳴りそうな鈍い痛みに悪態を吐きたくなるが、それをグッと堪えた。
とりあえず、黎一が無事ならそれでいい。無抵抗で暴行を受けて無傷ではないが、立ち上がっていつもの俺様な態度を見る事が出来て安心する。
背後にいる根元の舎弟が、眞秀を解放していいのかしない方がいいのか迷っている素振りが窺える。そして根元は何かを考えるように少しの間黙り込んだが、眞秀の方を見て顎をしゃくった。
「………そいつを離せ」
途端に亜里沙がまた喚きそうになるのを、南条が手の平で口元を覆って抑え込んだ。さすがにここで根元の機嫌を損ねるのはマズいと判断したようだ。
ようやく腕が解放され、いきなり血が巡りはじめたせいかジンジンする不快な感触を手で撫でで紛らわす。
ぎこちない動きで両腕を動かし、強張った筋と関節を動かしてから歩き出すと、近づいた途端に黎一に引き寄せられた。
「……何もされてないな?」
「あぁ、俺は何もされてないから大丈夫」
眞秀の答えに、黎一の目元が僅かに緩んだのがわかった。
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