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第39話

「真郷……」 琳太朗は斜め上に視線を向けて、ポツリとその名を呼ぶ。 頭を撫でられていたら次第に体から力が抜けていき、ほっと息を吐いた。 変わらずに優しく微笑んだままでいてくれる真郷が、琳太朗には心強い。 「ごめんなさい……生徒さんに、挨拶できなくて」 「最後、会釈してくれてたよな。それだけでも嬉しい」 「でもっ」 「俺と瀧川さんとしか会ってなかっただろう? 初めての相手なのに、頑張ったじゃん」 偉いぞと褒める真郷の顔を見れば、それが本心だと分かる。 嬉しそうで、泣きそうな。 弧を描く唇は、時折我慢するように噛み締められる。 「そう、かな」 琳太朗は、控えめに目を細めて笑う。 閉鎖的な空間で過ごして、見知らぬ他人と関わることは久しくしていなかった琳太朗。 人との関わり方も、子供のときのままで止まっている。 元より人に対して少し苦手意識もあり、ブランクもあってさらに警戒心は強くなっていた。 怖がるだろうなと、真郷は予想出来ていた。 だからなるべく、人気のないところを選んだのだけれど。 思わぬ琳太朗の頑張りを見て、嬉しくてたまらなかった。 他人から見れば当たり前で、大したことのないものだろう。 それでも、琳太朗にはとってはとても大きな一歩。 家に着くと、真郷は琳太朗の体をぎゅうっと抱きしめた。 「買い物も挨拶も、たくさん頑張ったな」 「……うん。あのね、今日楽しかったよ」 「それなら、良かった」 楽しかった、と聞けるのが何よりだった。 今日のことが、琳太朗の自信に繋がるだろうか。 真郷は、にこにこと機嫌の良い琳太朗を微笑ましそうに見つめる。 靴を脱いで、上着を脱いで。 温かい飲み物を入れて、やっと二人は一息吐く。 ソファーに並んで座り、色違いのマグカップには同じ甘さのコーヒーが入っている。 「そう言えば生徒さん、下の名前覚えてるんだね」 「名字が同じ先生がいるからさ。まさか生徒と会うとは思ったなかったな……」 緊張でうっすらとしか覚えていなかったが、琳太朗はあの時の真郷に少し違和感があった。 それはきっと、“先生”としての真郷だったからだろう。 そして、その流れでふと思い出すあの言葉。 「……それに、俺のこと家族って、言ってくれた」 「当たり前だろう? 琳太朗は俺の家族で……恋人、だから」 改めて口にする、二人の関係。 確信もスタートもないけれど、確かに感じ合うお互いの気持ち。 それだけで恋人と言うには、曖昧すぎる。 「恋人に、してくれるの?」 「今更だけど……それでも、いいか?」 好きですも、付き合ってくださいもない唐突な始まり。 昔からずっと側にいたからこそ、ありきたりな言葉は言えなくて。 初めから答えしかない互いの問いかけは、あまりにも初々し過ぎた。

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