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第59話

口元を押さえていた手は強張り小刻みに震え、自由に動かせない。 琳太朗は頭の中で真郷の名前を呼び続けて耐えていたが……また全てを捨てたい衝動に駆られていた。 迷惑をかけてしまっているこの状況が居た堪れない。 (真郷……まさと、っ……はやく帰ってきて……!) ぐ、っと喉元が嫌な音を立てた瞬間に、琳太朗の肩に優しく触れる手。 そっと目蓋を開け、琳太朗はそこでやっと自分が目を閉じていたことに気が付く。 目の前に、見覚えのある真郷の服。 周囲の視線を遮るように目の前に膝をついてくれている気遣いに琳太朗は安堵した。 強張っていた身体は徐々に解れ、ずるずると真郷に寄りかかる。 「琳太朗、大丈夫だからな。気持ち悪かったら出していいから」 真郷は小さな袋を取り出して、琳太朗の口元に当てがう。 琳太朗は口内に少量だけ戻ってきたものを袋に吐き出した。 やっと新鮮な空気が流れ込んできて、琳太朗は一息つく。 「少し場所を変えようか。ごめん、少し我慢してろよ」 袋の口を結んで、真郷はさっと荷物をまとめた後で琳太朗を抱きかかえた。 そのままトイレに向かって、個室に入る。 「もう人もいないから……落ち着けそうか?」 「……ごめん、まさと……」 すぐに謝罪の言葉を紡ぐ琳太朗に、真郷は困ったように笑いかけた。 そんなに自分を責めなくてもいいのに。 真郷はそう思いながら琳太朗の頭をそっと撫でた。 「ごめんな、遅くなって。職場の人と会ってさ」 「ううん、俺が、わるいんだ……」 そう言うと、琳太朗は真郷にしがみついたまま、かくりと意識を落とした。 深い呼吸で目を閉じているので、眠っているようには見えるが…… 未だに青白い頬に、真郷は指を滑らせる。 今はまだ冷たいけれど家に帰る頃には熱が上がってくるだろうと、真郷には容易に想像出来た。 不意に1年程前の琳太朗の姿を思い出して、奥歯を噛み締める。 無理をする度に、心を傷つけられる度に、ベッドに沈んで涙を流す琳太朗。 どうして思うようにいかないのか、と高熱のまま歯痒さに腹を立てる琳太朗は側から見ていてとても痛々しかった。 真郷が唯一出来るのは、ささくれた心が穏やかになるよう、傍にいる事。 「……琳太朗、帰ろうか」 二人が一番、穏やかに自分らしく居られる場所に。 真郷は琳太朗を背負い、人通りの少ない出口を選んでデパートを後にした。

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