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第2章 それは、ずっと昔のお話で4

 どこからともなく知らない男の声がする。日向は目をぱちくりさせた。  男の声はどこか父親の声に似ている。話し方はまるで母親のようにやさしい。何よりもその声を聞いていると懐かしい気持ちになった。だから日向は、〈姿なき声の主〉を怪しんだりせずに、〈彼〉の言葉をすんなりと受け入れられたのである。  日向は朔夜の背に腕を回した。  これ以上朔夜が不安になって傷つかないように、元気になれるように抱きしめたのだ。 「嫌いじゃないよ。僕、さくちゃんのことを嫌ってなんかいない」  朔夜は涙を浮かべた目を大きく見開いた。 「ごめんね。つい勢いで言っちゃっただけ。だから、そんなに泣かないで」  朔夜が血のついた手をさまよわせていると、どこからか幼稚園の先生の声がする。  光輝たちのお説教が終わったもののいじめられていた日向の姿が鳥小屋にない。おまけに光輝たちの悪行を密告した朔夜が、いつまでたっても帰ってこないので探しに来たのだ。  日向は、朔夜を抱きしめていた手を放した。先生を呼ぼうとしたら朔夜にすばやく手を摑まれてしまう。  朔夜は日向の手を引っ張って先生の声がする逆方向へと走っていった。  着いた場所は幼稚園の裏に広がる原っぱだ。  日向は肩を上下させ、朔夜に握られていないほうの手を胸に当てて息を整える。 「……さ……さくちゃ、ん。……急に、走ったりして……どうしたの……?」 「おまえに渡したいものがあるんだ」 「渡したい、もの? ……ここにあるの?」 「ああ、この奥にある」  原っぱには、大小さまざまな種類の草花が群生している。幼い子どもが中に入ると姿が見えなくなるくらいに背の高い草も生えていた。そのため子どもだけでは入ってはいけないことになっていた。  しかし朔夜は、日向の手を引いて草むらの中へと足を運ぶ。  とっさに日向は朔夜の手を両手で摑み、首を横に振った。 「入っちゃ駄目。先生に怒られちゃうよ!」 「わかってる。……おまえを無理矢理ここに連れてきたのは俺だ。おまえは悪くない。先生には日向を怒らないよう伝えるから安心しろ」 「待って。僕、そういうことを言っているんじゃないよ」 「本当はお迎えの時間に渡そうと思ってた。そうすれば光輝たちに邪魔をされたり、馬鹿にされて壊される心配がないから」 「だったら、お迎えの時間まで待つよ。僕、さくちゃんが『誰にも話すな』って言うなら絶対に喋らない。約束する」  朔夜は苦笑して日向の手を放した。 「日向が約束を守るって知ってる。けど、どうしても今、おまえに渡したいんだ」 「なんで今なの?」  日向が尋ねると朔夜は頭を横に振った。 「自分でもよくわからねえんだ」 「それ、そんなに大事なもの?」  謎の物体に興味を持ち始めた日向が尋ねる。  しばらくの間朔夜は、日向のことを静かに見つめていた。それから目線を自分の足元へやり、「どうだろうな」とつぶやいた。 「俺にとっては大事なものだけど、おまえは迷惑に思うかもしるれねえし、気に入るかどうかもわからねえ」 「ねえ、さくちゃん。前に僕があげた誕生日プレゼント、覚えている?」  いきなり質問をされ、日向の言わんとすることがわからず困惑しながら朔夜は去年の誕生日プレゼントを思い出す。 「うさぎのぬいぐるみのキーホルダー」 「正解。さくちゃん、猫さんは好きだけど、うさぎさんはあんまり好きじゃないって言ってたよね。『女の子の持ち物みたいで、バッグにつけたりするのは恥ずかしい』って」 「そんな失礼なことを言ったんだな。悪かった」  過去の自分が犯した失態を日向が怒っている。  そう思った朔夜は、ばつが悪い顔をして頬を|掻《か》いた。  きょとんとした顔で日向は瞬きを繰り返した。 「僕、怒っていないよ。半年以上も前のことだもん。気にしたって、しょうがないでしょ」 「そうなのか?」  おずおずと朔夜が訊くと日向は「うん!」と元気よく答えた。 「たしかにあのときは、ちょっと悲しかったよ。せっかく選んだプレゼントを気に入ってもらえなかったんだもん。でもさくちゃんが何を好きか、どんなものが欲しいか聞かなかった僕も悪かった。ねえ、僕があげたプレゼント、もう捨てちゃった? それとも他の子にあげちゃった?」 「そんなこと絶対しねえよ!」  日向の両肩に手を置き、朔夜は全力で否定した。 「おまえがくれたものは全部取ってある! そりゃあ、好みの違いはあるけど、どれも日向が俺のために選んでくれたものだ。それを捨てたり、だれかにあげたりしねえよ!」 「ほらね」と日向はにっこり笑う。 「僕も、お母さんやおじいちゃん、おばあちゃんがくれたプレゼントは、おうちに取ってあったり、使ってるよ。もちろん、さくちゃんからもらったプレゼントも。そんな特別で大切なものを捨てられるわけがないよ。プレゼントでもらったお菓子は食べちゃったけど!」  舌を出して日向は、はにかんだ。 「なんだよ、それ」  そう言って朔夜は下手くそな笑みを浮かべた。 「さくちゃんは僕の大切なお友だちだもん。さくちゃんからもらったプレゼントを迷惑だなんて思わない、思ったことはないよ」

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