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第3章 桃2
「おもしろい?」
「すっごくおもしろいよ。途中からみんなでザリガニ捕りやサワガニ釣りになったり、セミ取りになっちゃうけどな。おまえも来るか?」
鼻の頭についた土を指先で搔きながら燈夜は、快活に笑った。
苦虫を噛み潰したような顔をして、朔夜は興味なさそうに「俺はいいや」と返事をした。
ふたりが話しているところへ真弓がやってくる。
「燈夜、おかえり――って、やだ! あんた、ずいぶんと汚れてるじゃない!? 何をやってきたの?」
真弓は燈夜の姿に驚きあきれ、鼻をつまんだ。
「母さん。今日はみんなと一緒に、どぶへ入ったんだ」
「どぶ、どぶですって!」
大声で叫ぶなり、真弓は天を仰いだ。一息ついて落ち着きを取り戻すと朔夜を手招く。腰に抱きついてくる幼い息子の肩を抱き、もう一方の手で玄関のわきにあるドアを開く。
「燈夜、今すぐお風呂に入っちゃいなさい。その状態で家の中をうろつかれたら、掃除が大変よ」
「ええっ!? 十一にもなって父さんと一緒に風呂へ入るの? そんなのいやなんだけど」
燈夜は苦言を呈したが、真弓はそんなのどこ吹く風だ。
「みんなで温泉に行ったり、銭湯へ行くとき耕助と入っているじゃない」
「それとこれとはべつだよ!」
ふたりが言い合いをしていると風呂場のガラス戸が開く。タオルを腰に巻き、全身びしょ濡れ状態の耕助が洗面所まで、ぺたぺた歩いてくる。
「真弓ぃ。石 鹸 とシャンプーが切れているぞー。詰め替えくれないか?」
「やだ、耕助! 何をしているのよ!」
真弓が黄色い悲鳴をあげると耕助は、鼻の下を伸ばす。
「なんだよ、俺の裸なんて見慣れているだろ? 真弓のエッチ!」
「馬鹿、違うわよ!」
風呂場の前にあるバスケットからバスタオルを手に取ると真弓は、耕助の顔に向かって投げつけた。
「身体を拭いていない状態で、あちこち歩くのはやめてって言っているでしょ。床に水たまりができるし、足拭きマットがビチョビチョなんだけど!? ただでさえ、ぼろっちい床なんだから、穴が空いたりしたら大家さんから大目玉を食らうし、お金を取られるのよ! わかってる!?」
真弓は、耕助の胸の中心辺りに人差し指を当て、詰めよった。
「悪かったよ、真弓。後で拭いといて……」
「はあ? あんたが濡らした床を、なんで私が片付けなきゃいけないわけ? それくらい自分でやんなさい。石鹸とシャンプーは洗面台の下の戸棚の奥。ちゃんと見てよ!」と大爆発する。
「なんだよ……そんなことで怒らなくてもいいだろ?」
すっかり萎縮した耕助が風呂場へ逃げようとする。
だが、真弓は耕助が逃げるのを許さない。
耕助がガラス戸を閉めようとするのを食い止める。烈火のごとく怒り、容赦なく畳み掛けた。
「それくらいじゃないわよ。同じことを何回も言わせないで! 燈夜や朔夜だって、こんなに間違えないわ。怒るなって言うほうがどうかしてるわよ。それと燈夜!」
いきなり真弓に名指しされた燈夜は驚きの声をあげ、リビングへ逃げようとする。
しかし、真弓は「待ちなさい」と素早く燈夜の襟首を引っ摑んで離さない。
「汚い格好でうろつくなって言ったでしょうが!? なんで言うことが聞けないのよ!」
蛇に睨まれて蛙 と化した燈夜は、そのまま風呂場に放り込まれてしまう。
風呂場へとつながるドアを閉めて真弓は長いため息をついた。彼女は、ひとり廊下に立っている朔夜の前で腰をかがめ、幼い息子と目線を合わせる。
「朔夜、悪いけど、カレーの火を止めておいてもらえる?」
「わかったよ」
「ありがとう、いい子ね。デザート用のフォークとお皿もお願い」
そうして真弓は息子のふわふわとした鳶 色の髪をやさしく撫でてやった。
「終わったら席についてテレビでも見ていなさい」
「なあ、母ちゃん」
「何?」と真弓は返事をする。
「桃を先に食ってもいい? アイスと一緒に食いてえ!」
期待に胸を弾ませて朔夜は母親に訊いた。
だが、真弓は首を横に振って厳しい顔つきをする。
「駄目よ。みんなでお夕飯を食べるのが先。デザートは後。アイスは今日おやつで食べたから、なし。おとなしく待ってなさい」
「なんだよ、ケチ!」
朔夜は母親に向かって文句を言う。
しかし真弓はそんなのお構いなしだ。むしろ悪役さながらな人の悪い笑みを浮かべる。
「いいの? 明日は日向くんとプールに行く日でしょ。アイスの食べ過ぎで、おなかをこわしたら行けなくなっちゃうわねー」
母の言葉を耳にした朔夜の脳裏に『僕、さくちゃんと遊べるのを楽しみにしていたのにな。具合が悪いのなら仕方がないよね。お大事に。バイバイ!』と朔夜に向かって手を振り、他の子どもたちと水遊びを楽しむ日向の姿が浮かんだ。
朔夜は、母親の言葉にぐうの音も出なくなる。「やだ、日向と遊べなくなるの……絶対にいやだ」と生まれたての子鹿のように身体を震わせる。
真弓は朔夜の反応に苦笑した。
「お父さんとお兄ちゃんが出てきたら、すぐお夕飯にするから少し待ってて」
「……ほーい」
返事をすると朔夜はリビングまで走ってドアを閉めた。
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