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第3章 桃4
「悪かったよ、真弓。あとで拭いといて……」
「はあ? あんたが濡らした床を、なんで私が片付けなきゃいけないわけ? それくらい自分でやりなさいよ! 石けんとシャンプーは洗面台の下、奥にある! ちゃんと見なさい!!」と大爆発する。
「なんだよ。そんなに怒らなくてもいいだろ?」
すっかり萎縮した耕助は踵 を返して風呂場へ逃げ込もうとする。
だが、真弓は耕助が逃げるのを許さかった。そろりそろりと耕助がガラス戸を閉めようとするのを食い止め、みみっちい夫の行動に烈火の如く怒り、容赦なく畳み掛けた。
「それくらいじゃないわよ! 同じことを言わせないで! 燈夜や朔夜だって、こんなに間違えないわ。怒るなって言うほうがどうかしてるわよ! それと燈夜!!」
いきなり真弓に名指しされた燈夜は、驚きの声をあげ、リビングへ逃げようとする。
しかし、真弓は「待ちなさい!」と、素早く燈夜の襟首を引っ摑んで、離さない。
「汚い格好でうろくなって言ったでしょうが!? なんで言うことが聞けないのよ!」
蛇に睨まれた蛙 と化した燈夜は、そのまま風呂場に放り込まれてしまう。
風呂場へ繋がるドアを閉めて真弓は、長い溜め息をついた。彼女は、一人廊下に立っている朔夜の前で腰を屈 め、幼い息子と目線を合わせる。
「朔夜、悪いけど、カレーの火を止めておいてもらえる? あと、フォークとお皿の準備をしてね」
「……わかったよ」
「ありがとう、良い子ね」
そう言って息子のふわふわとした、鳶 色の髪を優しく撫でてやる。
「終わったら席についてテレビでも見ていなさい」
「なあ、母ちゃん」
「なに?」と真弓は返事をする。
「俺、桃を先に食っていてもいい? アイスをつけたら、めちゃくちゃリッチな感じになるよな。一緒に食いてえ!」
期待に胸を弾ませて朔夜は母親に訊いた。
だが、真弓は首を横に振って、厳しい顔つきをする。
「駄目よ。みんなでお夕飯を食べるのが先。デザートはあと。アイスは今日おやつで食べたから、なし。大人しく待っていなさい」
「なんだよ、けち!」
朔夜は母親に向かって文句を言う。
しかし真弓はそんなのお構いなしだ。むしろ悪役さながらな人の悪い笑みを浮かべる。
「いいのかしらー? 明日は日向くんとプールに行く日でしょ。アイスの食べ過ぎでお腹をこわしたら、行けなくなっちゃうわねー」
母の言葉を耳にした朔夜の脳裏には、『僕、さくちゃんと遊べるのを楽しみにしていたのにな……。でも、具合が悪くなっちゃったのなら、仕方がないよね。お大事に! じゃあ、僕、もう行くね。バイバイ!』と朔夜に向かって手を振り、他の子供たちと楽しそうに水遊びをする日向の姿が浮かんだ。
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