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第3章 桃18

「……そう。じゃあ、お母さんの覚えていることを話すわね。そうすれば、もしかしたら、何か思い出すことがあるかも」  真弓は、項垂れている朔夜の肩を抱き寄せ、撫でさすった。  朔夜は、母の話に耳を傾けた。自分が母の言うことを聞いて、デザート用のフォークと兎と(まん)(げつ)の絵が描かれた皿を机に並べたことを思い出す。  ――()()?  朔夜は顔を勢いよく上げ、「そうだ!」と叫んだ。 「あいつ、()(つき)って名乗ったんだ。あいつとは、リビングで出会ったんだよ! 満月さんは『桃を貰いに来た』って言ってた!」 「叢雲満月? そんな名前の子がいたかしら? でも、まさか――」  それっきり真弓は、口を閉ざした。人差し指を唇に当て何事かを思案していた。  少しずつ、朔夜の中で満月の顔がはっきりしてくる。もう少しで黒いクレヨンがなくなると、意識を集中させる。  不意に窓を引っ掻く不快な音がする。朔夜は、掃き出し窓のほうへ目を向けた。そこに映っているものを見るなり、仏壇のほうへと目線をやる。  仏壇の前には、例の黒いのっぺらぼうが立っていた。  黒いのっぺらぼうは足音も立てず、真弓の背後へと近づいていき、触手を伸ばす。  朔夜は「やめろ!」と叫ぼうとして、ひゅっと息を引く。  瞬間、朔夜の身体に異変が生じた。  視界がぐにゃりと歪み、身体中ありとあらゆるところが痛(がゆ)くなる。咳が止まらなくなり、喉を絞め上げられているように、息ができなくなる。何度もナイフで刺されているみたいな激痛が、腹部に走った。朔夜は猛烈な痛みに耐えきれず、座っている体勢を崩し、畳の上に倒れ込んだ。 「朔夜、どうしたの!?」  真弓は、朔夜の様子がおかしいことに気づき、卒倒する。 「逃げて」  母親にそう伝えようとするが、声が出ない。脂汗を全身にかきながら、朔夜は震える手で仏壇のほうを指さした。  真弓は、朔夜がなにかを指さしていることに気づき、振り返った。  黒いのっぺらぼうは、真弓が振り返る直前に、すうっと空気に溶け込むようにして姿を消した。  よかった。母ちゃんが、お化けに襲われなくて……。  朔夜は、必死の形相をして何言かしゃべっている母親の顔を最後に、意識を手放した。  *  翌朝の午前七時過ぎに朔夜は目を覚ました。  日向とプールへ行く準備をしようと思って目を開くと見慣れぬ天井があり、口元に軽い圧迫感がある。左腕から管が伸び、指先にはクリップがついている。右手が熱い。誰かに手を握られているのを感じて朔夜は、顔を横に向けた。  目元を赤く腫らし、(しょう)(すい)しきった顔の真弓がいた。

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