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第3章 桃19

「母ちゃん……」 「朔夜、気が付いたのね!」  何度も「よかった」と言って、はらはらと涙を流す母親のことを朔夜は、不思議に思う。やけに重い(まぶた)で瞬きを繰り返した。  朔夜は朝から元気がなかった。  体調はよくなった。酸素マスクに点滴、バイタルの測定器も外すことができた。だが、彼は朝食に出た(かゆ)もほとんど手をつけず、真弓と看護婦をやきもきさせた。  同じ部屋の住人である老人が母方の祖父と知り合いで、気を利かせて声をかけてくれたものの人と話をする気には、なれなかった。  まさか、自分に桃のアレルギーがある可能性が高く、そのせいで重篤なアナフィラキシーを起こし、死にかけるなんて夢にも思わなかった。そのせいで日向とのプールの約束を破ってしまった……。  朔夜は自分の行いを深く反省し、落ち込んでいたのだ。  何をするでもなく窓の外の景色をぼうっと眺め、うとうとしたら、布団に入って寝る。その単調な動きを、何度も繰り返して憂鬱な気分をごまかした。  午後の二時を過ぎた頃に、真弓が「購買で買い物をしてくる」と席を外した。  いつになったら家へ帰れるのだろう。  朔夜は溜め息をつくと、大海原に浮かぶ白い客船のような積乱雲を見た。  部屋の真向かいにあるナースステーションから聞き慣れた声がする。 「こんにちは、看護婦さん! 303号室のお部屋に入ってもいいですか。さくちゃん――お友だちの叢雲朔夜くんのお見舞いに来たんです。会えますか?」 「ええ、もちろんよ。おうちの人といっしょに来たの?」 「はい、お母さんと来ました! お母さんは今、朔夜くんのお母さんとお話中です。僕、待ちきれなくて先に来ちゃいました!」 「あら、そうなの。迷子にならずに来れて偉いわね。朔夜くんのお部屋はすぐそこよ。ここを真っ直ぐ行った先にあるわ」 「ありがとうございます!」  日向に会いたいと思うあまり――俺、幻聴まで聞こえるようになったのか!?  なにもかもが嫌になった朔夜は、消毒液の臭いが染みついた布団を頭までかぶった。 「失礼します」  誰かがドアを開け放ったままの病室へ入ってくる。  室内トイレで用を済ませた老人が「あれま、可愛いお嬢ちゃんだね。どうしたんだい?」と猫撫で声で来訪者に話しかけている。  来訪者は、むっとした声で「違います」と言い返した。 「僕、女の子じゃなくて、男の子です! 朔夜くんのお見舞いに来たんです!」  まさか、そんなはずはない、と思いながらも朔夜の心は期待と不安で、いっぱいになる。そろそろと布団から頭を出し、声の主のほうへと目を向ける。

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