40 / 159
第3章 桃19
「母ちゃん……」
「朔夜、気が付いたのね!」
何度も「よかった」と言って、はらはらと涙を流す母親のことを朔夜は、不思議に思う。やけに重い瞼 で瞬きを繰り返した。
朔夜は朝から元気がなかった。
体調はよくなった。酸素マスクに点滴、バイタルの測定器も外すことができた。だが、彼は朝食に出た粥 もほとんど手をつけず、真弓と看護婦をやきもきさせた。
同じ部屋の住人である老人が母方の祖父と知り合いで、気を利かせて声をかけてくれたものの人と話をする気には、なれなかった。
まさか、自分に桃のアレルギーがある可能性が高く、そのせいで重篤なアナフィラキシーを起こし、死にかけるなんて夢にも思わなかった。そのせいで日向とのプールの約束を破ってしまった……。
朔夜は自分の行いを深く反省し、落ち込んでいたのだ。
何をするでもなく窓の外の景色をぼうっと眺め、うとうとしたら、布団に入って寝る。その単調な動きを、何度も繰り返して憂鬱な気分をごまかした。
午後の二時を過ぎた頃に、真弓が「購買で買い物をしてくる」と席を外した。
いつになったら家へ帰れるのだろう。
朔夜は溜め息をつくと、大海原に浮かぶ白い客船のような積乱雲を見た。
部屋の真向かいにあるナースステーションから聞き慣れた声がする。
「こんにちは、看護婦さん! 303号室のお部屋に入ってもいいですか。さくちゃん――お友だちの叢雲朔夜くんのお見舞いに来たんです。会えますか?」
「ええ、もちろんよ。おうちの人といっしょに来たの?」
「はい、お母さんと来ました! お母さんは今、朔夜くんのお母さんとお話中です。僕、待ちきれなくて先に来ちゃいました!」
「あら、そうなの。迷子にならずに来れて偉いわね。朔夜くんのお部屋はすぐそこよ。ここを真っ直ぐ行った先にあるわ」
「ありがとうございます!」
日向に会いたいと思うあまり――俺、幻聴まで聞こえるようになったのか!?
なにもかもが嫌になった朔夜は、消毒液の臭いが染みついた布団を頭までかぶった。
「失礼します」
誰かがドアを開け放ったままの病室へ入ってくる。
室内トイレで用を済ませた老人が「あれま、可愛いお嬢ちゃんだね。どうしたんだい?」と猫撫で声で来訪者に話しかけている。
来訪者は、むっとした声で「違います」と言い返した。
「僕、女の子じゃなくて、男の子です! 朔夜くんのお見舞いに来たんです!」
まさか、そんなはずはない、と思いながらも朔夜の心は期待と不安で、いっぱいになる。そろそろと布団から頭を出し、声の主のほうへと目を向ける。
ともだちにシェアしよう!