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第4章 オメガバース1
*
――あの唇は、以前食べた桃と同じ味がするだろうか?
【朔 夜 】が日向の頬へと手を伸ばした。日向の頬に手を当て、ゆっくりと顔を近づけていく。
急に怖い顔つきをした朔夜を目にして、怒らせてしまったのだろうかと日向は不安になる。どこか怯 えた声で朔夜の名前を口ずさんだ。
とたんに【朔夜】の意識の奥深く底へ追いやられていた朔夜が反応し、肩を揺らした。朔夜の意識が戻ってくるのを感じて【朔夜】が、すっと目を伏せる。
ふたたび灰色の瞳が見開かれると同時に、朔 夜 の意識が浮上する。日向の顔のドアップに「うわあああっ!」と朔夜は大声を出した。「近過ぎだ! それじゃ、逆に話ができねえだろ!?」
「それもそうだね」
日向は朔夜の腕を放し、肩が触れるか触れないかの距離をとった。
朔夜はドキドキしている自分の胸を手で押さえる。
なんだよ俺、今、日向にキスしようとしていたのか……? 何やってんだよ!? 唇のキスは相手の了承がないと駄目だって、父ちゃんが教えてくれたのに! もし日向に嫌がられたり、泣かれたりしたら……目も当てられねえっつーの!
気分を落ち着かせようと深呼吸をする。気を取り直した朔夜は「話すと長くなるから座ろうぜ」と日向に声を掛けた。
背筋をぴんと伸ばして日向は正座をし、朔夜からもらった指輪を太ももの上に置いた。黒曜石のような瞳を輝かせて朔夜の話を心待ちにしている。
朔夜はあぐらをかき、腕を組んだ状態で黙り込んでいた。日向に話す内容を頭の中で整理していたのだ。しばらくして、話す内容がおおよそまとまると口を開いた。
「世の中の男と女は、ふたつめの性別を持ってる。アルファ、ベータ、オメガっていう三種類のうちのどれかに、みんな属してるんだ。これをオメガバースって言う。ベータはオメガバースが発見される前からいた普通の人と変わらねえ。でも、アルファとオメガはちょっと違うんだ」
「違う? それって、もしかして――」と日向は神妙な顔つきをして、ゴクリと息を呑んだ。「アニメや漫画、ゲームに出てくる超能力とか魔法みたいなもの!? 手でバリアを張ったり、呪文を唱えて怪我を治したり……」
両の拳を握りしめ、目をキラキラさせている日向の姿を目にした朔夜は、口元に手を当て肩を震わせた。
「ちょっと、さくちゃん。そんなに笑わないでよ!」
沸騰しているやかんのように日向が怒る。
目に浮かんだ涙を指先で拭いながら、朔夜が平謝りをする。
「いや、日向の想像力はすげえなと思って」
「僕のことを貶していの?」
じとっとした目で日向が訊くと朔夜は「褒めてんだよ」と微笑んだ。
「日向が言うようなことができたら、すっげえ便利だって思う。けど、そういう力じゃねえんだよ」
「じゃあ、どういう力なの?」
頬をふくらませている日向のことを、かわいいなと思いつつ、朔夜は自分の胸の中心を指で差した。
「心の力だ」
「心?」
「ああ! アルファは人の心を守る力を、オメガは人の心を癒やす力を持ってるんだ」
目をぱちくりさせて日向が頭をひねる。
「アルファやオメガは苦しんでいる人や、悲しんでいる人を励ましたり、元気にする力があるんだよ。それは目に見えないし、形もねえから触れねえ。耳で聞くこともできねえ。味も、香りもねえものだ。だから全員には届かねえ。それがそこにあるって気づかねえで、通り過ぎちまう人のほうが多いから。
だけど中には気づく人もいる。そんで、そいつは気づいてくれた人のところに届いて響 く んだよ。それは、いつまでもその人の中で生き続ける。形を変えて、またどこかのべつのだれかのところへ届くんだ」
きょとんとした顔をしてから日向は、この上なく幸せそうに笑った。
「でもオメガバースについて幼稚園の先生からお話なかったよ。身長や体重を測るとき、男の子と女の子で分かれるけど、オメガバースの性別で分かれなくてもいいの?」
「それはな、俺たちがまだ小さいからだ。『小学校の中学年になると習う』って兄ちゃんが言ってたぞ」
「ふーん、そうなんだ」
「身体測定を男女で分けるのは、俺らみたいなガキだとふたつめの性別が、あやふやだからだ。一応赤ん坊のときと小学校の六年生になるとバース性の検査を受ける。赤ん坊のときにアルファやオメガでも、大半は小学校の六年生になる途中でベータに変わっちまう。
それなのに第二の性をガキに教えたら、頭が混乱する子どもが出たり、いじめが起きることを心配した大人たちが、小学校の高学年になるまでは男女の区別だけでいいってことにしたんだって。ふたつめの性別も中学生になるまでには、はっきりする。二十歳 を超えたらバース性が変わることも、そうそうねえしな」
「だからアルファとオメガの人は少ないんだね」
「そういうこと。ベータでも突然変異で、アルファやオメガになるやつや恋人・結婚相手に合わせてアルファになったり、オメガになったりする人間もいる。けど、それはごく少数だ」
「さくちゃん、物知り博士だね! さくちゃんはアルファなの!?」
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