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第4章 決意表明1

 思えば、日向の父親である(ゆき)()は一風変わった人だった。  明日香が体調を崩し、代わりに雪緒が日向を迎えに来た。  朔夜を始めとした子どもたちは日向の父親である雪緒に挨拶をしたり、声を掛けた。  だが――雪緒は子どもたちのことを、そこにいないもののように無視した。  子どもたちを迎えに来た保護者が挨拶をしても軽く会釈をするだけ。一言も喋らない。幼稚園の先生の話もろくに聞かずに、朔夜たちと遊んでいた日向に向かって「さっさと帰る支度をしないのなら、ここに置いていくぞ!」と冷たく言い放ったのだ。日向を置き去りにして、幼稚園の門を通り、車まで歩いていってしまった。  朔夜たちの手を借りて、急いで帰り支度を済ませた日向は、慌ただしく朔夜や先生に挨拶をした。車に乗り込んだ雪緒を追いかけて、走る。  地獄の(えん)()大王から獄卒役を任されている鬼のような顔をした雪尾が、日向を怒鳴りつける。  背の低い日向が車に乗れないことについて悪態をつき、車から下りてきたかと思うと小さな紅葉のような手を強引に引っ張った。そのまま白いセダンの中へ押し込むとすぐにアクセルをふかし、ブオンッ! とひどい音をさせて発車する。  歩道を歩いている子どもたちや保護者たちにぶつかりそうになりながら、荒々しい運転をして去っていった。  運動会のときも、│一《ひと》(もん)(ちゃく)あった。  運動会の当日、明日香は、自分の両親と夫である雪緒とともに幼稚園へ行った。幼なじみである真弓や耕助の隣にレジャーシートを引き、彼らと楽しそうに談笑をしていた。  かけっこや玉入れ、綱引きといった競技を頑張っている日向や朔夜を応援し、写真を撮っていた。  その間、雪緒は明日香以外の人間とまともに喋ろうとせず、始終退屈そうにしていた。  昼食をとり終わり、親子競技のダンスを踊る準備をする。そこへ日向をいじめている光輝と、その母親を筆頭としたママ友たちがやってきた。そして開口一番、日向にいちゃもんをつけた。  明日香は普段から息子をいじめる、いじめっ子の親子たちと角を突き合わせた。  もちろん、その場にいた真弓と朔夜が、光輝たち親子を追い払ったので問題なくダンスを踊ることができた。  しかしながら雪緒は、明日香のように光輝たち親子に何も言わなかった。何をしていたのかというと、光輝の父親と仕事仲間でもないのに、酒を酌み交わしていたのだ。  極めつけは、今年の一月にあった保護者合同の(たこ)揚げだ。  凧を作っている最中、光輝がふざけて日向の指を、はさみで切ろうとした。仕事の都合で来れなかった明日香の代わりに来ていた雪緒は光輝を叱ったり、注意をしない。それどころか、光輝のいやがらせを受け、いやがる日向の顔を見て口元に笑みを浮かべていたのだ。  朗らかで子どもに対して愛情深い明日香と、神経質そうで何を考えているかよくわからない雪緒。  どうして、ふたりが結婚をしたのか――朔夜には理解できなかった。  朔夜は、ほとほと困り果ててしまった。  日向が口を開き、「僕ね、」と喋り始める。「さくちゃんが、お父さんに怒られちゃうのは、いやなんだ。もしも……さくちゃんと離れ離れになって、こうやってお話することもできなくなったら、どうしたらいいかわからない。だから結婚はできないの。ごめんね」  悲しい表情を浮かべ、すまなさそうに謝る日向の顔を朔夜は見たくなかった。いつものように、お日様のような笑顔を見せてほしかったのだ。  上手に嘘をつくことができないのに、朔夜はやさしい嘘をついた。自分のそうであってほしいと思う理想を口にする。 「大丈夫だって! おじさんも、日向が大人になったら許してくれる。うん、きっとそうだ!」 「……そうかな?」 「ああ! まだ幼稚園児なのに魂の番である俺と結婚していなくなっちまったら、おじさんだって寂しくなるだろ。だから、そういうことを言ったんだよ。それに、うちの母ちゃんも、父ちゃんと喧嘩をすると手が出る。けど、なんだかんだいって父ちゃんに謝って、仲直りをするんだ。だから日向の家のおじさんも、後でおばさんに謝って、仲直りしたって!」  しかし、どんなに朔夜が励ましても、日向は元気にならなかった。朔夜は、暗い表情を浮かべている日向の肩に手を置き、額に口づけた。それから日向の手を取り、左の薬指にシロツメクサの指輪をはめてやった。 「さくちゃん?」  日向は、朔夜の行動に困惑した。 「もし大人になってもさ……おじさんが、俺たちの結婚を許してくれなかったら、そのときは……ふたりで駆け落ちをしよう」 「カケオチ?」 「そうだ。駆け落ちはな、結婚を許してもらえない恋人たちが遠くへ逃げることだ。この町を出て、おじさんが日向を見つけられないくらいに遠く、それこそ世界の果てまで行こう。俺らだけで式を挙げて、家を建ててさ、いつまでもふたりで幸せに暮らそう」 「駄目だよ!」  悲鳴のような声をあげて日向は、朔夜の言葉を否定する。 「そんなことをしたら、さくちゃんが家族と離れ離れになっちゃう! お友だちとだって、会えなくなっちゃうんだよ!? そんなの幸せじゃない……! ふたりだけで、幸せになんかなれないよ……」

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