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第5章 怨恨1
黒坊主は何十もの触手を放出し、日向めがけて鞭のように振るう。
素早い身のこなしで日向は自分に向かってくる触手をよけ、次々に断ち切る。猛スピードで黒坊主の懐へ入り、黒坊主の胴に一太刀浴びせようとする。
しかし黒坊主は触手を天井に向けて出し、二階の観覧席へと逃げていった。日向が手にしている刀を注視し、歯ぎしりをする。
『なんだ、それは……おまえが剣道や居合道を習っているからといって、剣豪のような動きをできるわけがない! その刀、どこで手に入れた!?』
日向は手の中の刀をちらっと見てから、黒坊主を見上げる。
「これは碓氷の家が武家であったときに所持していた刀です。刀は、生きとし生けるものの命を奪う道具にもなりますが、古来より、あやかしや祟りの神を斬るものとしての役割を担ってきたもの。『何も持たずに向かうよりはましだ』と曽祖父から餞 別 にいただいたんです」
『でたらめを言うな!』
黒坊主は憤怒した。
『ヒムカは……やつは、とうの昔に死んだ。【亡霊】になってからも、やつを探した。やつが俺と同じ【亡霊】になっていると思ったが、ついぞ見つけることはできなかった。ヒムカが、おまえのもとに姿を現すはずがない……嘘をつくな!』
「嘘ではありません。あなたが僕を過去の世界へ閉じ込めようとした際に、彼がどこからともなく現れたのです」
「何?」
「あなたが憎んでいる曽祖母の力を借り、この刀を託してくれましいた」
忌々しげに日向の曽祖母である琴音の名前を口の中で嚙み殺すと黒坊主は、また無数の触手を日向に向かって放出する。
日向は、触手を細かく切り刻んだ。そして観覧席にいる黒坊主ではなく、黒坊主の本体――頭や心臓にあたる部分を探そうと舞台裏へ向かう。
裏方へ回り込もうとすれば、黒い鏡が立ち塞 がった。鏡の中から無数の糸が出てきて日向のことを捕らえようとするが、日向はばっさりと糸を切り捨ててしまう。すると鏡は粉々に砕け散り、観覧席にいたはずの黒坊主の姿が、ぱっと消える。
怪しげな人影が走り去る姿を日向は視界の片隅に捉える。刀を手にしたままの状態で人影を追いかけた。
赤い電灯に照らされた廊下を走り、螺 旋 階段を三段飛ばしで下りていく。
眼前にある「STAFF ONLY」の文字が刻まれた重い鉄の扉を開くと、そこには迷路のように入り組んだ石造りの狭い通路が広がっていた。
『無駄と知りながら、なぜ抗い続ける……おまえを突き動かすのは、あの男 がいるからか!?』
黒坊主の怨 嗟 の声が響いた。
それでも日向は、恐怖心にさいなまれることなく、足を進める。
「それも理由のひとつです。それ以上に叢雲さんを苦しめるのをやめていただきたいのです。あなたを直接苦しめた人たちは、全員亡くなりました。もうこの世にはいません」
『だからなんだ。祖先の罪は子孫の罪。罪人の子は罪人だ。生きる価値などない。自分の祖先が、どのような悪行を行ってきたかを思い知るべきだ』
日向は黒坊主の物言いに顔を歪め、頭を上げる。かびの生えた暗い天井の一点を見つめる。
「あなただって苦しい思いをしてきたでしょう。それなのに、自分がされていやだったことを人にするというのですか?」
『そうだ。それが俺の復讐だ。“蛙の子は蛙”。“鳶が鷹 を生む”なんてことは、絶対にありえない』
「……みにくいアヒルの子だって、美しい白鳥になりましたよ。自分の固執した価値観や、考えを相手に押しつけるのですか? あなたに人を殺す権利はない」
『おとぎ話と現実を一緒にするな、ガキが!』と黒坊主は、日向のことを嘲笑う。『せっかく、この世に現界できるほどの器を手に入れたんだ。この機会を逃すものか。俺を苦しめたやつらの子孫を地の果てまで追い詰めてやる。女、子ども、赤ん坊だろうと容赦はしない。血の一滴たりとも後世に残させるものか!』
日向は黒坊主の言葉に、ぞっとした。怒りと憎しみに心を支配され、何を言っても【亡霊】の心には届かない。その事実が悔しくて、悲しくて日向は刀を強く握り直した。黒坊主の気配に神経を集中させ、出口を探す。
忘却のレテを朔夜とともに接種したことで互いの精神世界を共有している。この世界での死は現実世界での肉体の死を意味する。そんな中で【亡霊】の本体を探さなくてはいけない。
日向は――【亡霊】をすぐに鎮められると考えていた。
【亡霊】は生きている人間に寄生する物体であると考えられているが、実際は人間のDNAに組み込まれた過去の人物の意思が何らかの因果により、具現化されたもの。
概要や最新の研究動向については、【亡霊】について研究している研究機関や教授陣が執筆した論文を読んで知っていたし、日向が勤めている製薬会社のつてで、研究者や罹患していた患者の話を直接聞けた。彼らや同僚たちとデータを総合して仮説を立てた結果、朔夜の精神世界に入れば、【亡霊】に対処できるだろうと話がまとまった。
しかし事態は日向たちの想像を遥かに超えて、ひどかった。
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