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第6章 毒を飲んだマリオネット2

 日向は話の途中で言葉に詰まってしまった。黒曜石のような目に涙が浮かぶ。  右手の手袋を取ると、朔夜は日向の頬に手を当てた。  手袋をしていたはずなのに温かくない。それどころか氷のように冷たくなっている朔夜の手に日向は驚き、目を見開く。  壊れ物でも扱うような手つきで朔夜は、日向の頬をつたう涙を拭い去った。 「本心だ。少なくとも、あのときは――心からおまえたちの幸せを願っていた」 「……叢雲さん」 「おまえがあいつと結婚して幸せになるのなら、それでいいと思った。俺なんかと番になって不幸になるくらいなら全部忘れよう。会えなくても構わない。遠くから見守っていようと決めた。だけど――できなかった」  朔夜は、日向の頬にやっていた手を華奢な首へと移した。  びくと日向の形のいい柳眉が動き、目が細められる。じょじょに朔夜の手に力がこもり、次第に息苦しさを感じ始める。それでも日向は朔夜の手を振り払おうとはしなかった。 「おまえの笑顔が頭の中にこびりついて離れない。どんなに時間が経っても、会えなくてもおまえを好きな気持ちがなくらない。なくせない……忘れられない」 「っ……」 「なんで俺の隣じゃなくて、あいつの隣にいるんだって気が狂いそうになる。……俺はおまえのせいで多くのものを失って、また、ひとりぼっちの透明人間に逆戻りだ。なのに……おまえは周りに恵まれ、愛されている。おまえひとりだけ幸せになるのが許せない」  そのまま朔夜は、男にしては細い日向の首を絞めあげる。 「すごいよな。おまえは強さを求め、事実強いオメガになった。魂の番である(アルファ)がいらないくらいに。俺も、強いアルファになりたいと思った。だけど……弱いままだった。だから、おまえを手放さざるを得なくなったんだ」  顔を赤くし、苦しんでいる日向を前にしても、朔夜の目には何の感情も宿らない。無感動な目つきのまま淡々と口を動かし続ける。 「だれからも愛されず、望まれない名ばかりのアルファ。運命のオメガにも愛想を尽かされた愚かな男だ」 「違う……きみは……弱くない。……いつだって……僕や、周りの人たちを……助けてくれた……ぐっ、う……」 「――嘘だ」  まるで唾を地面へ吐き捨てるように朔夜は言葉を口にした。  か細い声で朔夜の名前を呼び、日向は首を絞められる痛みをこらえる。 「俺は何もできねえ。生きてる価値もない無能な人間(アルファ)だ。だから魂の番であるおまえを、ほかのアルファにかすめ取られそうになったり、ベータの男に横取りにされた。そして――おまえを満月に捧げるために生まれてきた。【亡霊】の器となるためだけの存在。ただの入れ物。とるに足らない存在。わかるか? 俺は最初から生まれてくるべき存在じゃなかった。生きてる価値なんてねえクソ野郎なんだよ」  震える手を伸ばして日向は、朔夜の頬へと触れた。 「……さくちゃ……お願い……泣かないで……」  朔夜は日向の身体をもののように投げつけた。  針葉樹の木の幹に背中を打ちつけた日向は、力なく白い地面にしゃがみ込んだ。振動によって黒い葉から、濡羽色の頭へと白い雪が落ちる。  そんな日向の姿を見ても、朔夜の表情は生気の感じられない人形のように変わらない。日向が触れた頬へ指先を当てる。  しかし曇天のような灰色の目から生温かい液体は出てない。雪のように白い肌は、日向の発した言葉のように涙で濡れてはいなかった。 「泣く、泣くか――子どものときは、よくビービー泣いてたな。オメガであるおまえを『守る』といいながら、馬鹿みたいに涙を流してた。周りからは“ヒーロー”だ、“王様”だと担がれて調子に乗っていた。そのくせ、情けない醜態を晒していた。道化もいいところだ。おまえの目には、さぞ滑稽に映ってたんだろうな」  自らをおとしめながら朔夜は微動だにしない日向を見据える。  傘を雪の降り積もった地面へと投げ捨てる。左手につけていた手袋をはずし、コートも脱ぎ捨てて朔夜は喪服姿になる。動けなくなっている日向のもとへ向かう。 「なあ、知ってるか? 俺よりも満月のほうが生きている価値があるんだ。あいつは元・オメガとは思えないくらいに能力があって、仕事もできる。俺が時間をかけて積み上げてきたものを、あっという間にこなしちまう。有能なんだ」 「なぜ……そのようなことを……」  息もできないほどの痛みに顔を歪めながら、日向は朔夜に尋ねた。  ()()とした声で朔夜は言う。 「叢雲の連中は【亡霊】である満月を神のように崇めてる。復讐の対象として見られているのに、殺されることすら名誉だと考えてるんだ」 「じつに愚かですね……」 「普通はそう思うだろ。だけど叢雲の家の始まりは満月だ。【亡霊】であるあいつの怨念のおかげで俺たちは恩恵を授かってきた。だから死者であるあいつをよみがえらせる。満月のほうが俺なんかよりも、ずっと価値のある存在だ。俺が死んで、あいつの手足となる」  日向は、朔夜の言葉を耳にすると俯かせていた顔を上げた。

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