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第6章 不本意な発情期1

 日向はゆっくり瞬きをして、涙を流した。朔夜に対する悲しみか、怒りか、憎しみか、やるせなさか、悔しさか、はたまた愛情によるものか――涙を流している理由は当の本人ですら、わからなかった。  朔夜の口付けに応じると途端に日向の心臓が、ドクンッと大きな音を立てる。血が沸き立ち、胸が痛み、息がしづらくなる。  熱病に冒されたかのように火照った身体は、冬の凍てつくような寒さも、雪の上に寝転んでいる冷たさも感じない。  頭がぼうっとし、結婚を控えた婚約者の顔も、宿敵である【亡霊】を打ち倒すことも、風前のともし火である朔夜の命を救うことも一切合切を忘れる。  唇を離すと朔夜は震える手で、日向の両頬を包んだ。額に、両の瞼と鼻先、両頬に触れるだけの口付けをする。  キスの雨が降ってきても、日向は嫌がる素振りを見せない。それどころか、どこか夢見心地な潤んだ目をして、朔夜の行為を受け入れていたのだ。  朔夜は身を起こすと、人形のように身動ぎひとつしない日向の身体を抱き上げ、力いっぱいに抱きしめた。  だが、日向には「やめてほしい」と言って抵抗することも、はたまた朔夜を抱きしめ返すこともできなかった。なぜなら腕は折れたかのように、だらりと力がなくなり、指一本すら自由に動かせない状態だったからだ。氷のように冷たい朔夜の胸板に頬を寄せ、身を預けることしかできない。  そんな日向の状態を知らないまま、朔夜は日向のつむじに唇を寄せる。しばらくの間、何をするでもなく日向の身体を抱きしめていた。それから、雪が降る真っ白な空を仰ぎ見て、白い息を吐く。 「日向……俺さ、きっと一番最初に、【あいつ】に殺されるんだ」  落ち込んだような声で、ぽつりと朔夜が呟く。  霞がかった重い頭でも日向は、朔夜が口にした言葉の意味を理解できた。黒曜石のような瞳に動揺が走り、身体が小刻みに震え出す。  宥めるような優しい手付きで朔夜は、日向の背中を撫でていた。 「どこにも逃げられねえ。満月は、地の果てまで俺らのことを追いかけてくるつもりだ。もう、どうすることもできねえんだよ。俺はここで死に、おまえは満月の番になる。そういう星のもとに生まれちまったんだ」 「……違う。違う、よ……」  全身を苛む痛みを堪えながら、日向は、朔夜に向かって手を伸ばそうとする。  熱っぽい日向の手を取り、指先に朔夜は口付けた。 「慰めでいい。俺のことを嫌って、憎んでくれて構わねえ。だから……今だけ、この瞬間だけは、俺のものになってくれねえか?」

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