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第6章 不本意な発情期2
『おまえ、だれのおかげでアルファになれたと思っている。叢雲の家がアルファの一族として繁栄することを望んだ俺のおかげだ。まさか、そこのけがらわしいオメガのおかげだとでも本気で思っているのか?』
「そうだ。……俺は日向と出会ったからアルファになれた。……孤独 じゃなくなったんだ」
『なんて救いようのない馬鹿なんだろう……おまえは叢雲の出の人間でありながら、そうやって最期まで俺に楯 突くつもりか。叢雲の天敵である碓氷や天 道 の家の味方をするんだな』
「違う。叢雲も、碓氷も、天道の家も、どうでもいい。そんなものの味方になるつもりはねえ。俺は――日向を守るために生まれてきた。てめえ の操り人形になるために生まれたんじゃねえ!」
すると朔夜はふらつきながらも立ち上がり、過去の妄 執 に憑かれた【亡霊】と対峙した。
「俺のすべては日向のものだ。だから、てめえの操り人形 になんざ、死んでもならねえよ」
『朔夜!』
「日向の命を、おまえのものになんかさせねえ! 命を懸けて、元いた世界へ――日向の婚約者である暁 のいる場所へ返す」
日向は食い入るようにして朔夜の背中を見つめていた。だが――。
『そうか。祖先の慈 悲 をここまで無 碍 にするとは……じつに愚かだ。ならば貴様は用済み。さっさとその身体を寄越せ!』
亡霊は怒声をあげると触手を朔夜の手足や首に巻きつけた。彼の動きを封じると覆いかぶさう。真っ黒な澱に包まれて朔夜の身体は見えなくなってしまう。
「さくちゃん!」
日向が叫ぶと同時に、黒い繭 のような状態になった澱から、にゅっと腕が出てくる。野生の獣を思わせる敏 捷 な動きで朔夜が、日向の身体を乱暴に押し倒した。
瞬間、はっとして日向は、目を大きく見開いた。
死に物狂いで日向は目の前の、朔夜を――朔夜の身体に取り憑いた【亡霊】の身体を押し退けようと、目いっぱい暴れた。
だが【朔夜】は、日向の手首を捕らえる。一纏めにして日向の頭の上に固定する。草花が芽吹くように黒い糸が、白い雪の下から出てきて日向の両手首に巻き付き、拘束した。
拘束を解こうと足 掻 く日向の姿を、【朔夜】は暗い沼底のようにどんよりとした灰色の目に映した。
「まったく、さっきまでのしおらしい態度はどこへいったんだ? 俺のことを愛していると言ったのに……」
「嘘をつかないでください。僕は、あなたのことなんか愛してない。早くその身体から出ていって!」
「出ていく? おかしなことを言うな。俺はおまえの魂の番である叢雲朔夜だというのに」
「違う! あなたなんかが、さくちゃんなわけない! さくちゃんを返して!」
寝ても覚めても日向は、朔夜の発するアルファのフェロモンの香りを忘れられず、求め続けた。それは香水を始めとした化合物によって再現された香りや、実際に咲く月下美人の花の香りとは似て非なるものだった。朔夜だけが発する香り。魂の番である日向だけが感知できる朔夜がこの世にいる証だ。
しかし、日向を押し倒す目の前の【朔夜】からは、その香りがいっさいしない。
むしろ腹の奥からふつふつと憎悪や恐怖、憤怒、悲哀といった負の感情がわき起こる匂いに、日向は吐き気を催した。
「おかしなことを言うな。この身体は朔夜自身のもの。朔夜以外の何物でもないだろう」
「【亡霊】であるあなたが、さくちゃんの身体に乗り移ったんでしょう! さくちゃんをどこへやったのですか!?」
「まったく、おまえはオメガとして利口すぎる。朔夜なら飲み込んだ。今、俺の中で「おまえを傷つけるな」口とうるさく騒いでいる。あいつの悔しがっている姿を直に見せられなくて残念だ」
【朔夜】は朔夜なら絶対にしないニヒルな笑みを浮かべた。黒のジャケットを脱ぎ、ネクタイの結び目 を右の人差し指で緩めた。
「【俺】に抱かれるのは死ぬほどいやでも、朔夜にだったら抱かれてもいいと思ったのか?」
【朔夜】の問いかけに対して、日向は「ふざけたことを抜かすな!」と怒鳴る。
「なんだ図星か」
くくっと楽しげに含み笑いをしながら【朔夜】は、日向の首元へ顔を寄せた。吐息がかかり、【亡霊】の香りが強くなる。
そんな【朔夜】の行動に日向は恐怖した。鳥肌が立ち、嫌悪感でいっぱいになった胸がいやな音を立て、めまいがする。
「甘いヘリオトロープの花の香りがするな」
「……やめて……」
「薬でおまえはオメガの本能を抑え続けてきたから、発情期が訪れるのも、十三年ぶりだろう。久 々 の発情期を味わった気分はどうだ? どうせ婚約者であるあの男のことも、忘れていたんだろう?」
怒りと羞恥から日向は、【朔夜】に向かせって「うるさい!」と怒鳴り、足をばたつかせた。手首に絡む糸をどうにか引きちぎろうとするが、まるでピアノ線のように硬く、暴れれば暴れるほどに手首から血が滲む。糸がぎりぎりと強い力で日向の手首を絞め上げた。
「次から次へと卑 怯 な手を使って……あなたには良心の呵 責 というものが、ないのですか!?」
「そんなものがあれば、【亡霊】になど身を落とさなかったさ」
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