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第8章 呪縛にかかりし者5
満月は、日向のような病気持ちのオメガではなかったのに、恋人であるヒムカに番にしてもらえず、捨てられたという悲しい過去から朔夜に対して憤った。朔夜と日向が絶対に結婚することがないよう、ふたりを引き裂くために、満月は日向を犯したうえで【亡霊】の力を行使し、朔夜に濡れ衣を着せたのだ。
そうやって日向の記憶を二度も奪い、書き換えているのに、日向は本来あった自分の記憶を取り戻した。満月に犯されたことも、十年以上の歳月が経ってから思い出したのだ。
こんなイレギュラーな事態は、日向相手にしか起こらない。日向の朔夜を思う愛の力か、それとも他の力が働いているのかは定かでないが――【亡霊】である満月にとっては、日向の存在は脅威であった。朔夜を操り行う復讐劇の障害であった。
それだけではない。日向の婚約者がいる場所では、満月は【亡霊】としての力を使えないのだ。彼が、日向や朔夜の傍にいると満月は、この世に現界することも、朔夜を操ることもできなくなる。無理に現界すれば、力をどんどん失い、最後には透明人間のような状態になってしまう。
魂の番であるヒムカを猫ばばし、自分の曽孫である日向を守ろうとする琴音以上の天敵だ。
朔夜も朔夜で日向を守ろうとする意志が強く、なかなか言うことをを聞かないうえに、操ることも難しい。
あまりにも邪魔者が多すぎる。
ならば、手始めに日向の記憶を忘却のレテと己の持つ【亡霊】の力の合わせ技で、変えてやろう。朔夜や婚約者の存在をなかったことにし、朔夜たちとの縁を切ることで戦力外にしようと満月は考えたのである。
*
深い眠りにつき、目を覚まさない日向に向かって満月は慎重に手を伸ばす。黒坊主だったときのように、吹き飛ばされないとわかると彼は胸を撫で下ろし、丁寧な手付きで日向の濡羽色をした髪を梳いた。さらさらと絹糸のような触り心地をした髪は、ヒムカとどこまでも同じで満月は自分が人間だった頃のことを思い出し、郷愁を覚える。
今ならば日向を襲い、先ほどの性行為の続きをすることも、いたぶることもできる。だが、満月には眠っている日向に手を出すことができなかった。
【亡霊】であるときの我を忘れ、荒れ狂う心が――世を憎み、人を恨み、怒る気持ちが不思議と薄らいでいたからだ。嵐がやみ、凪いだ海のように穏やかな気持ちになれた。こんな気持ちになれたのは、彼にとっては久々のことだった。
満月は、食い入るように日向の顔を見つめていた。
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