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第8章 呪縛にかかりし者6

 まるでヒムカが蘇り、生き返って自分の傍にいるような錯覚を覚える。  だが、彼はヒムカではない。 「遺伝子とは不思議なものだな。なぜ、かくもこのようにおまえの容姿は、ヒムカに瓜二つなのだ。それなのに、おまえはヒムカではないとはな……」と満月は沈んだ声で独り言を口にした。  初めて、朔夜の目を通して日向の姿を目にしたとき、満月は日向のことを、ヒムカの生まれ変わりだと信じて疑わなかった。  無神論者である満月は、神を信じることもなければ信奉する宗教もない。だが知識として、仏教に輪廻転生という概念があることは知っていた。そんなものを想起するほどに日向の容姿は、ヒムカと似ていた。  きっと、魂の番であった自分に会いに来てくれたのだ。今度こそ自分と愛し合い、番となるためにふたたび生を受け、この世に現れたのだと満月は歓喜した。  それは束の間の幻影だった。  すぐに満月は、日向がヒムカの生まれ変わりではないことを思い知らされる。性格も違えば、考え方も違う。好きなものも、嫌いなものも……あれもこれもヒムカと違う。ふたりの異なる点を見つけて落胆する。  そもそもヒムカのバース性はアルファで、日向はオメガなのだ。日向が成長すれば容姿も変化し、ヒムカではないことを受け入れられるようになるだろう。  だが、成長しても日向の容姿は、ヒムカと瓜二つなままだった。まるでヒムカのコピー品であるかのような似姿に満月は、ヒムカが単為生殖でもしたのかと絶対にあり得ないことを考えるほどになってしまった。  日向の姿を見ていると、満月はヒムカと愛し合っていた頃の甘く切ない記憶も、自分ではなくベータの琴音を選び、妻に迎えた頃の忌まわしい過去も否が応でも思い出させられる。  あまつさえヒムカのような見た目をしたヒムカと琴音の血を引いた人間が、自分の子孫で、自分と容姿の似た朔夜に大切にされ、守られ、幸せに過ごしている。そんな姿を見るたびに、心がドロドロした黒いもので溢れ返りそうになった。  死を望むほどになるまで心を傷つけ、追い詰め、不幸のどん底へと叩き落とし、絶望を味わせててやる。なにがなんでも、絶対にこのふたりが結ばれないようにしてやる。そのように満月は心に決めたのだ。  満月は、日向の髪を梳くのをやめると寝台の横にある棚から、手の平に乗るほどの小さな宝石箱を取り出した。そして中に入っている古めかしい鍵を手に取り、日向に向かって微笑みかける。 「いったい全体、おまえはなにをしようと考えていたんだ?」と日向に問いかけるものの寝息が聞こえるだけで、返事はない。  ――この精神世界では、想定外のことが立て続けに起きた。始終日向が怪しい動きをしていて、満月は日向のことをかなり警戒していたのだ。  だが、それも杞憂に終わった。  朔夜は虫の息。日向は今、己の手のうちにあるのだから。  満月は、日向の胸元に鍵を当てる。するとハート型の錠前が突如として現れる。鍵を錠前に差し込み回すとカチッと音がして、寝台の横に白い扉が現れる。同時に鍵は細かい砂のようになって、満月の手の中からなくなる。  満月は立ち上がるとドアノブを回し、扉の中へ入る。日向の記憶を(かい)(ざん)するために、彼の精神世界へ干渉する。  扉が閉ざされると、扉は跡形もなく消えてしまった。  日向は満月が消えたあとも、寝台の上で眠り続けていた。愛しい(ひと)の名前を口ずさみ、涙を一粒零したのだった。

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