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第9章 憧憬4
「なぜです? どうして叢雲くんは、そこまで頑張るのですか?」
真剣な顔つきをして菖蒲は尋ねた。彼女は絹香の黒い瞳をじっと見つめる。
「叢雲くんが真面目で頑張り屋さんなのは、わかります。でも、そこまでやる必用ってありますか? 彼、完璧主義ではないですよね? それなのに、どうして……」
「ひなちゃんのためよ」
絹香は劣勢状態の日向へと目を向ける。
「ひなちゃんね、昔はいじめられっ子だったの」
「えっ……あの、“王子さま”と呼ばれていて、皆さんからも慕われているひなちゃんがですか?」
「そうよ。光輝たちにしょっちゅう意地悪をされていてね。さあちゃんやあたしが守っていたの。ひなちゃんのお母さんは、光輝やあいつの両親に対して敵対心を持っているわ。自分がおなかを痛めて生んだ大切なひとり息子をいじめ、そのいじめを黙認しているような保護者に腹を立てているの。でも……ひなちゃんのお父さんはね、光輝の父親と仲がいいのよ」
「なぜですか?」
「さあね、〈大人の事情〉ってやつなんじゃない? ひなちゃんのおうちは複雑なの。ひなちゃんは、お父さんや碓氷の親戚と仲があまりよくないのよ」
「あの単身赴任をしていて、ろくすっぽ家に帰ってこないお父さん――ですね」
声を潜めて菖蒲はしゃべり、絹香は静かに頷いた。
「『居場所がないわけじゃない』って本人も言っているし、実際にお母さんやおじいちゃん・おばあちゃんとの仲は良好みたい。けど……逃げ場所が、どこにもなかったの」
「逃げ場所?」
「まあ――詳しいことは、あとで昼休みに話したげるわ。そろそろ大詰めね」と朔夜のほうを注視する。
遂に朔夜は日向の面を打ち、「一本!」と体育教師の声が体育館に大きく響く。
しかし、生徒の多くは先ほど日向と絹香が戦ったときのような熱狂ぶりはなく、ようやく終わったかといわんばかりのローテンションだ。
日向と朔夜が礼をすると同時にチャイムが鳴る。ほとんどの生徒は大急ぎで体育館を出ていった。
体育館に残ったのは、朔夜の動きぶりを観戦していた衛と日向を応援していた鍛冶と疾風。審判をしていた大林。試合が終わったばかりの日向と朔。そして話しをしていた絹香と菖蒲の計九人だけとなる。
「すごいじゃないか、叢雲! 素振りもろくにできなかった奴がここまで上達するとはなあ!」
体育教師の大林は喜色満面な様子で、朔夜の背中をバシバシ叩いた。
面を取ると汗だく状態になった日向も、負けたというのに嬉しそうな表情をして「わかりますか、先生!?」と弾んだ声で大林に話しかける。
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