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第9章 憧憬9
「そっか、よかった……」
「ただ、時と場合があるからさ、そこのところは勘違いするなよ?」
「うん、わかったよ。さくちゃんが嫌だって思ってなかったのなら安心した」
「当たり前だろ! おまえに触れられて、嫌だなんて思うわけねえ。なんつーか……俺らが付き合っていることはみんな知っているけど、どこで誰が見ているかわからねえだろ? せめて昼休みとか、放課後に……さ」
朔夜の言っている言葉の意味が理解できた日向は、恥ずかしそうに「そう、だよね。……うん」と小声で呟いた。
「ていうか、迷惑じゃねえから余計困るっていうか。もっとしたいって思うっつーか。その……」
「その?」
ちらりと日向の桃色をした唇へ朔夜は視線をやる。
朔夜だって、日向には黙っていたが――じつのところキスのひとつやふたつをしたかったのだ。
この町を出てデートをしているときや、日向とどちらかの家に行って部屋でいちゃついているときのように、日向に触れたかった。
もちろん日向と日常的に会話をしたり、休みの日にふたりで外へ遊びに行ったり、雨の日に家でまったりするのも朔夜は好きだった。こんな時間がいつまでも――それこそ、死がふたりを分かつときまで続いてほしいと思うほどに、魅力的ですてきな時間だった。
だが日向と手を繋ぎ、ハグをし、キスをすると今まであった嫌なことをすべて忘れられた。本を読み終わったときとは違い、悲しい気持ちやつらい出来事を思い出さずに済んだ。ただ、ただ日向が自分の傍にいる。自分を好きでいてくれることを言葉だけでなく、身体や心でも実感でき、幸せな気持ちになれた。
子供の頃に、ぬいぐるみをよく抱きしめていたと真弓が話していたが、その理由が今ならわかる。心が寂しくて、人恋しくて、不安に押しつぶされそうだったから温もりを求め、ぬいぐるみを抱きしめていたのだ。
日向とスキンシップを取るのが朔夜は好きだったし、もっと先へ進みたいというのが本音だった。
それは日向も同じで、大人たちがやっていることを「したい」とふたりは思っていた。
単純に身体を繋げることへの興味もあった。
見るな、聞くな、言うなと禁止されればされるほどに、禁止されていることをしたくなるのが人間の性というもの。
好奇心には勝てず災厄の詰まった壺や箱を開けて、蛇の誘惑に負け知恵の実を口にした女の話や、後ろを振り返り冥界から連れ出した妻の姿を目にしたり、戸を開けてしまったばかりに大事な人を失ったり、自らの命を落とした男の話からも伺える。
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