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第10章 王子さま4

 いろいろと嫌なこと、苦しいこともあった。それでも住み慣れたこに町が好きだった日向と朔夜は、菖蒲の言葉を聞いて嬉しく思ったし、胸がじんとした。 「ですが」と菖蒲は振り返る。珍しく険しい顔つきをして、きっぱりと「日ノ目くんや周りにたむろっている人たちを好きになることだけは、無理です。できません」と宣言した。  嫌悪感を露わにし、光輝や日ノ目家の悪口を言っている菖蒲に対して、豊橋は(あい)(まい)な笑みを浮かべる。 「虹橋さん、そういう言葉を気軽に口にしては駄目よ。日ノ目くんにだって、いろいろと家庭の事情があって、そういうことをするようになったんだもの。だから」 「えー! そんなの理由になりませんよ」と菖蒲は口元に手をやり、ケラケラ笑う。 「みんながみんな、幸せなわけでもなければ、毎日楽しいことや、嬉しいことがあるから笑顔でいるわけじゃありません。“隣の芝生は青く見える”。自分が不幸だからって、他の幸せそうな人間を攻撃する。そんな道理はクソ食らえです」 「でもねえ……」 「権力を握っているアルファが親戚にいるからって、先生方は日ノ目くんのことを贔屓(ひいき)するんですね。彼のやっていることって正しいですか? 確かにわたしの断り方も悪かったでしょう。ですが、そのせいでこんな仕打ちを、黙って受けなければならないんですか? あの人たちのほうが間違っていないとでも?」  豊岡は困り果て、菖蒲に対してなにも言えなくなってしまう。  日向は朔夜の道着の袖をこっそり引っ張って、耳打ちをする。 「ねえ、さくちゃん。なんだか菖蒲ちゃん、いつもと様子が違うよ」 「よっぽど光輝たちにやられているのが、応えてんだろ。光輝は今回どうだか知らねえけど、取り巻きの連中は虹橋のことを、『新しいおもちゃ』としか思ってねえからな」 「ねえ、このままでいいのかな? 豊岡先生も困っているみたいだし。なんとかできないかな?」  朔夜は日向にせがまれ、どうしたものかと頭を悩ませた。 「やめて、菖蒲ちゃん」  ずっと沈黙を貫いていた空が口を開き、風に吹かれればどこかへ飛んでいってしまいそうな、か細い声でポツリと言う。 「お願いだから、これ以上お兄ちゃんのことを、そんなふうに言わないで」 「空ちゃん……」  今にも泣き出しそうな空の顔を目にして、菖蒲はとうとう口を噤んだ。  そっと息をつきながら、朔夜は鳶色の頭を掻いた。 「その、虹橋。空の言う通りだ。貴重な休み時間を光輝の愚痴で終らせるなんて、もったいねえ。移動時間もあるわけだし? あいつの愚痴を言うななんて言わねえけど、時と場合ってもんがあるだろ。しゃべるのは昼休みか、放課後にしろよ」

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