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第12章 アンノウン5
日向は彼女の言葉に耳を傾け、口を噤んだ。
「さっきもお話しましたが、わたしには姉がいます。四姉妹です。でもわたしの三番目の姉は車椅子で生活しているんですよ。元から足が不自由だったのではありません。ある兄妹のせいで二度と歩けない身体になってしまったんです。
その兄妹は日ノ目くんのいとこです。昔この町に住んでいて、ある事件に巻き込まれて亡くなりました。日向くんもよく知っている方だと思いますよ。――だれだか、わかります?」
にっこりと菖蒲が楽しそうに笑う。
反対に日向は顔面蒼白状態になり、ひどくおびえた表情を浮かべる。
「坪 内 昂 明 さんと坪内希 美 ちゃんです。知らない訳、ないですよね」
「……何が言いたいのかな」
震える声で日向は菖蒲に問う。
菖蒲は日向が狼狽える様子を見ると目を細め、意地の悪い笑みを浮かべた。
「さあ、なんでしょう。なんだと思いますか。気になりますよねー」
「そんなの」
わかる訳がない。わかりたくもない。
日向は口を噤んで項垂れた。
そんな日向の様子を菖蒲はつまらないと思っていた。
「だんまりですか? いいですねえ、自分に都合の悪いことがあると黙れる人は」
「菖蒲ちゃん、そんな言い方はひどいよ」
「わざと傷つける言い方をしてあげているんです。わたし、あなたのことをずっとズタズタに傷つけてやりたいと思っていたんですよ。知っていました?」
友だちだと思っていた菖蒲にそんなことを言われて、日向は少なからずショックを受けた。
同時に、どうして彼女からこんなことを言われなければならないのだろうと胸が苦しくなる。
「どうして? 僕、何か菖蒲ちゃんの気に障るようなことをした?」
「はい、そうですよ。ずっと以前から」
「ずっと以前? 以前って……僕たちが出会ったのは今年の四月なんだよ。どういう意味?」
困惑している日向に対して、菖蒲は挑発的な笑みを浮かべた。
「あなたは、わたしがやりたかったことを全部台無しにしたんです」
「何それ、もっとハッキリ言ってよ。きみは僕に何を求めているの?」
「何も求めていません。ただ、苦しんでほしいんです」
「えっ……」
菖蒲は日向の右手を手に取り、綺麗に微笑んだ。
「わたしが苦しんだ分をあなたにも味わってほしい。安心してください。いじめたり、意地悪はしませんから。そんなことをすれば、わたしが叢雲くんに殺されてしまいます」
「……よくわからないな。僕を苦しめたいなら、光輝くんから助けなくてもよかったんじゃないの? むしろ光輝くんの彼女にでもなって、僕を苦しめればいいでしょ」
「それじゃ意味がないんです。ひなちゃん、言いましたよね。わたし、あの人が死ぬほど嫌いなんです。あなたがわたしの大嫌いな日ノ目くんに、いじめられて潰れるなんて言語道断。わたしが、あなたを苦しめたいんだもの」
「何それ」
日向は菖蒲のことを不気味に感じ、頬を引きつらせた。
「わたしの顔を見るたびに、あたなが自分の罪 と向き合い、悔いる姿が見たいんです」
「僕は何も知らないよ。いい加減、手を放して」
日向は嘘をついた。
しらを切ろうとするが「嘘をつかないでください」と菖蒲に言い切られてしまう。桜貝のような爪が、日向の膚に食い込む。
爪が膚に食い込む痛みと、菖蒲の底知れぬ悪意や憎悪を感じて日向の顔が歪む。
「希美ちゃんは当時、ア ル フ ァ の 男 の 子 に夢中だったそうですよ。この町に、アルファの男の子は少ないです。そして、あの子が死んだ日、この町でお祭りが催されました。あなたも、そのお祭りに参加していたんですよね」
「なんで、それを……」
「この町の人って噂好きですよね。ちょっとカマをかければベラベラ喋ってくれて大変助かりました。町の図書館にも当時の資料があって、すぐに見ることができました。そこら辺は都会の図書館よりも楽ですね」
菖蒲がこの短期間で、そこまで調べ上げていたことに日向は絶句した。いやな汗を全身にかく。
「知らない、知らないよ……僕は何もしていない」
「何度も同じことを言わせないでください。本当はあなたが、あの子を――」
「日向、虹橋。そこで何をしているんだ?」
朔夜だ。
はっとした日向は、菖蒲の手を払いのける。それから菖蒲の爪が食い込んだ痕の残る左手を朔夜から隠す。
「さくちゃん、あのね。菖蒲ちゃんに砂を払ってもらっていたんだ」
「砂、なんで? つーか、まだ虹橋は帰ってなかったのかよ」
朔夜が不思議そうな顔をして、日向と菖蒲のいる場所へ近づいてくる。
「帰る途中で光輝くんに言い寄られて、帰れなくなっちゃったんだよね。それで僕と光輝くんが言い合いになって、光輝くんに砂をかけられちゃったんだ」
「はあ!?」
大声をあげて、朔夜が日向のところへ駆け寄る。日向の頬に手を当て、顔や首筋に付いた砂を丁寧に拭い去る。
「おまえ、目、赤くなってんじゃねえかよ」
「大丈夫だよ、これくらい。この後すぐ顔を洗うから」
「虹橋……おまえ、少しは人の言うことを聞けよ。警戒心ってものが足りねえんじゃねえの?」
怒りを滲ませた声を出し、朔夜が菖蒲に目を向ける。
無表情の菖蒲は、日向を傷つけられて怒っている朔夜のことを、じっと眺め見た。
日向が朔夜の腕を摑む。
「やめて、さくちゃん。菖蒲ちゃんは悪くないよ。悪いのは光輝くんなの」
「けど、」
「お願いだから怒らないで。僕は大したことないよ。菖蒲ちゃんも、これからは気をつけようよ、ねっ!」
お願いだから、話を合わせてと日向が目で訴える。
すると菖蒲は申し訳なさそうに眉を八の字にして、朔夜に「すみませんでした、叢雲くん」と謝る。「わたし、ひなちゃんがいなかったらどうなっていたか……」
ギュッと両手で自分の身体を抱きしめ、視線を足元へやる。さっきまでの狂気じみた様子は鳴りを潜め、ふてぶしいくらいに“可憐な女の子”を演じた菖蒲が朔夜に話かける。
「わかった、わかったから……」と朔夜が、ため息をつく。
「今後はもっと気をつけます。ひなちゃん、ありがとうございます」
「うん……大丈夫だよ。早く行かないと三人とも遅刻しちゃう。行こうよ」と日向は話を切り上げる。
「はい、そうしましょう」
菖蒲はにっこり笑って、日向と朔夜に背を向けて歩き出した。
――どうしよう。なんで今さら、あの当時のことを蒸し返されなきゃいけないんだろう。
当時のことを思い出して日向は胸が痛み、泣き出し手しまいそうになる。土埃で茶色くなり薄汚れている白のスニーカーへ目線をやる。
すると隣りにいた朔夜に手を握られる。
はっとして日向は顔を上げ、朔夜のことを見つめた。
険しい顔つきをした朔夜が小声で「大丈夫だ」と日向に言い聞かせる。
そうして三人は学校の校舎へ戻ったのだった。
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