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第14章 じれったいふたり3

「ったく……しょうがねえな」  しぶしぶながらといった体で朔夜は水道の蛇口をひねり、石けんで手を洗い始める。 「えっ!?」と日向が声をあげる。  朔夜はちらと背後にいる日向に視線をやってから、白い泡がついた手を水で洗い流す。 「『えっ』じゃねえだろ。おまえ、ひとりじゃ十分で終わらねえだろ。ふたりでやったほうが早く終わる」 「大丈夫だよ。ひとりでも平気。さくちゃんは先に教室へ帰って。坪内さんだって、さくちゃんが来るのを待っているだろうし……」  蛇口の栓を閉め、朔夜はジャージの中に入っていたハンカチで手を拭く。それから水切りかごの中に入っていたボウルや泡だて器をふきんで拭いていく。 「なんで、そこで坪内さんが出てくるんだよ。俺は坪内さんのことなんて興味ないし、なんとも思ってねえ」 「でも、それは……」と小さな声でつぶやいたきり、日向は黙ってしまった。  日向の口から希美の名前が出たことに朔夜の心は傷つき、痛みを発した。まるで膝小僧を擦りむいたときのように熱をもった痛みだ。  だが彼は自身の胸がじくじくと痛むのを無視した。それよりも、ここのところずっと元気のない思い人を励ますこと、何があったのかを聞き出すためにどう話を切り出したらいいかに意識をやった。 「むしろ、おまえと話をする時間がなくなって、つまんねえよ。これ、頼むな」  拭き終わったボウルや泡だて器を日向に渡す。  不安そうな表情を浮かべて日向は、朔夜の顔をじっと見つめてきた。  朔夜は日向に見つめられて胸をときめかせるよりも――もしかして、光輝たちに裏でひどいことを言われているのを言えないでいたんじゃないか――と思い、心配する気持ちがどんどん大きくなっていった。  ふっと目線を外したかと思うと日向は何も言わないまま、ボウルを片付け始める。  どこか寂しげな日向の背中を見て、朔夜は気が気でなくなる。さっと拭いた皿を戸棚の定位置に入れ、ふきんを洗濯カゴの中に突っ込む。 「おまえ、どうしたんだよ? マジで元気ねえし、また光輝たちにいじめられたのか?」 「違うよ」  即答したかと思うと日向は食器棚の戸を閉めた。だが日向は戸を閉めたというのに、朔夜に背を向けたまま微動だにしない。 「じゃあ鍛冶や疾風と喧嘩したり、絹香のやつに剣道の練習でこてんぱんにされたのかよ?」 「そんなことないよ」 「それとも明日香さんや、じいちゃんとばあちゃんに叱られて落ち込んでるとか? まさか――また、おじさんに何かされたのかよ?」  朔夜の問いかけを日向は首を横に振って否定する。  日向の態度がいつもと違う。  四歳のときから一緒にいてケンカをしたことだって、たくさんある。それでも、こんな態度をとられたことは一度だってない。  みょうな違和感を感じた朔夜は「だったら、なんで!」と焦燥感のにじんだ声音で、日向に訴えかけた。  すると「……ちゃんのせいだよ」と日向が小声で何か口にする。  とたんに朔夜は「だれのせいだ!? 言ってみろ!」とものすごい剣幕で訊く。 「……さくちゃんのせいだよ」  震え声で日向は胸の内を告白した。 「僕、さくちゃんのせいで元気がないんだよ」  いきなり、おまえのせいだと告げられ、朔夜は困惑した。次に紡ぐ言葉をさがしていれば、ゆっくり日向が振り返る。  日向は怒っているような、寂しそうな顔をして今にも泣きそうだった。  自分が何をしたのか心あたりのない朔夜は、日向の悲しそうな表情を目にして衝撃を受ける。  「……なんで俺のせいなんだよ」と掠れ声で問いかける。  しかし日向は朔夜の問いかけに答えようとはしなかった。一度ぎゅっと目をつむり、ふたたび目を開く。すると無表情のまま、クラブの時間に作り、ラッピングしたマフィンを手に取っていく。 「ごめん、変なこと言ってるよね。僕、最近、どうかしてるんだ。……気にしないでね」  そうして何事もなかったかのように家庭科室を出ていこうとする。  反射的に朔夜は日向の手首を摑み、引き止めてしまった。 「そんなお願い、聞けるわけねえだろ! おまえがそんなつらそうな顔をしてるのにほっとけるわけがねえ」 「お願い、離して……坪内さんに誤解されちゃうよ」 「日向……!」  朔夜が悲痛な声で日向の名前を呼ぶ。  振り返っても日向は朔夜の顔を絶対に見ようとはしなかった。暗い表情のまま顔をうつむかせている。 「……さくちゃんのうちのおばさんとぼくのお母さん、魂の番だったんだよ。さくちゃんも知ってるよね?」  なんで急に母ちゃんたちの話をするんだ? と疑問に思いながら朔夜は「もちろん知ってるけど、それがどうした」と日向に話の続きを促した。 「でもオメガバースが見つかってまだそんなに経ってなかったから女同士・男同士で番になるのも、異常なことだと思われてたから、お母さんとおばさんは番にならなかった。今も親友として仲がいい。昔、さくちゃんに『大切な友だちだよ』って言ったけど、『おまえは友だちじゃない』って言われちゃったよね。事実、さくちゃんは衛くんや穣くん、好喜くん、角次くんと仲がいい。それで、さくちゃんは叢雲の子だから、いつかは女の人と結婚するんだよね。そしたら、そしたら……僕たち、友だちでいられ」 「おまえ……ほんとに馬鹿だな」

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