朔夜と日向は別棟の階段を上る。 　朔夜は日向の少し前を歩き、階段を上りきった先にあるアイボリーの柔らかな色合いをした相談室のドアを、ノックする。 「豊(とよ)岡(おか)先生、叢雲です」 「はい、どうぞ」とドアの中から女の声がした。 「失礼します」 　朔夜がドアを押し開けるとそこには日向と朔夜の姿を見にして目を丸くしする空(そら)と書類整理をしている相談員の豊岡、それから……「どうもー！」と手を振る菖蒲がいた。 「おい、ちょっと待て。なんで虹橋がここにいる？　絹香と教室に帰ったんじゃねえのかよ？」 「蛇崩さんには先に帰っていただきました。彼女に、ここまで送ってもらったんですよ」 「駄目だよ、菖蒲ちゃん」と日向は困り顔をする。「当分の間は、ひとりで行動をしないでって言ったよね。光輝くんが怒り狂って何をするか、わからないんだよ？」 「すみません、日向くん。ですが、それは承知済みです。ちょーっと用事があったもので」 「用事？　用事ってなんだよ？　豊岡先生に光輝のことを話に来たのか」 　朔夜が問いかけると菖蒲は、心底うんざりした顔をして「ええ、まあ、それもありますね」とおもむろに、ため息をついた。 　表情を曇らせた日向は「何かまた、光輝くんにされたの？　光輝くん、剣道の試合中もイライラしてたみたいだけど……」と菖蒲に訊く。 「ご心配なく！　ひなちゃんや蛇崩さん、辰巳くんたちのおかげで光輝くんと接触することも少なくなって快適に過ごせていますよ。大変助かってます」 「そう？　それなら、よかった」 　腕組みをして朔夜は「じゃあ、なんで、ここにいるんだよ？」と首を傾げる。 「そうですね、蛇崩さんたちや豊岡先生にはお話しましたが、おふたりにはまだ話してませんよね!?」 　菖蒲は中腰になり、椅子に座っている空の両肩に手を置いた。 「じつはわたしと空ちゃん、いとこなんです」 　同じタイミングで「「いとこ」」と朔夜と日向は驚嘆し、顔を見合わせた。 「やだー、仲がよろしいこと！　息ぴったりですね!?」と菖蒲はふたりのことを笑う。 「うるせえな、恋人同士なんだから仲がいいに決まってるだろ。なんか文句あんのかよ？」 「はい、惚(のろ)気(け)いただきました！　甘々過ぎてお腹いっぱい、満腹です」 　まるで柳に風、暖簾(のれん)に腕押しで、菖蒲、朔夜の言葉をまともに受け合おうとはせず、のらりくらりとしていた。 　やっぱりこの女、苦手だなと朔夜は内心毒づく。 「言われて見れば、たしかに！　空ちゃんと菖蒲ちゃん、ちょっと似てるよね。並んでいると姉妹みたい」 「でしょう！　わたしたち、昔から仲がいいんですよ。昔は、どちらかのおうちに遊びに行ったり、お泊りをよくしました。空ちゃんのお母さんが日ノ目さんと再婚してからは、なかなか遊べなくなってしまったんですが……それでも長期休みには、お出かけをしましたね。お店の人からも『ご姉妹ですか？』って、しょっちゅう聞かれます！」 「あれ？　じゃあ、菖蒲ちゃんは、光輝くんのおうちの人たちと親戚付き合いがあるの？」 「いえいえ、そんな！　あの人たちと親戚付き合いなんて、ないですよ。あそこの家とわたしの家は、仲がすごーく悪いので」 　朔夜は口をへの字にして「ん？」とつぶやき、菖蒲に話しかける。「ってことは、おまえ、転校してきた日に初めて光輝と顔を合わせたのか？」 「違います。菖蒲ちゃんのお母さんの結婚式で一度会ってますよ。ろくでもないイタズラばかりしていたので、よく覚えています。まあ、向こうは、わたしのことなんて頭からスポンと抜けて忘れてるみたいですけど。どっちにしろわたし、日ノ目くんのことは、大っ嫌いです！」 「う、うーん……まあ、あんなことがあったら、光輝くんにいい印象は持たないよね」と日向は、菖蒲に対して同情の眼差しを送る。 「当然です！」と菖蒲は自身の焦げ茶色の髪先をいじりながら毛を逆立てた猫のように腹を立てた。「転校初日から光輝くんに『俺の女になれよ』なんて猛烈アピールをされて迷惑してるんです！　何度もお断りしてるのに、しつこいし……。人気のない図書室で無理やりキスをしようとしてきたのとか、ほんっと最低です。図書委員である日向くんや心ちゃんが通りがからなかったら、どうなっていたことか……」 　怒りをあらわにして菖蒲は話した。 　豊岡は、まあまあと菖蒲を落ち着かせようとする。 　だが菖蒲は、その後から、いじめが始まったことを延々と愚痴る。 　下駄箱の中に怪奇文書めいた何十通ものラブレターが雪崩のように床に落ちてきたり、上履きの中に画(が)鋲(びょう)が敷き詰められていた。 　机の中からはＡＶとコンドームが入れられ、光輝の取り巻きをしている女子からは現在進行形でシカトをされ、体育の授業ではわざとぶつかったてきたり、怪我をさせられそうになったり……とあげたらきりがないことを喋る。 「もちろん大林先生を始めとした一部の先生は、いじめをやめさせようとしてくれましたが……実質、馬の耳に念仏です！　自らの行いを悔い改めようとは毛頭思っていないんですから。それどころか親や親戚の権力を盾に悪行三昧だなんて始末に負えないです！」