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第11章 無力1
朔夜は、すこぶる機嫌が悪かった。
車に乗せられ、校庭へ帰ってきた日向と空の姿を目にしてから始終無言で、どす黒いオーラを放っていた。
日向も日向で閉会式に参加してから朔夜に話しかけられるのを、わざと避けている。火に油を注ぐも同然の行為だとわかっていて、そういう態度をとったのである。
そんなことされれば、ますます朔夜の機嫌は悪くなる一方。
子どもたちは「これはまた大ゲンカが始まるな」と予感し、教室に充満している重苦しい雰囲気が一刻も早くなくなることを願っていた。
給食を食べ終え、昼休みになると子どもたちの多くは疲れ果てていた。中には外に出て雪合戦をする者もいたが、大半は教室の中でおしゃべりをしたり、昼寝をしたりと各々好きなことをやっていた。
あごが外れてしまいそうなほどに大きなあくびをした鍛冶が机へ突っ伏す。
「午後の授業、絶対に眠くなるよね。ぼく、途中で寝ちゃうかもー」
茶色い紙のブックカバーがかかった文庫本を手にしていた疾風は、鍛冶を横目で見て、あきれ返る。
「おまえが午後の授業で居眠りしなかったことが一度でもあったかよ? いつも、うたた寝をしてるだろ」
嘘のように眠気が覚めた鍛冶が突然立ち上がり、ガタン! と大きく椅子が音を立てる。
「ひどいな、疾風くんってば! ぼくが、うたた寝するなんて決めつけて。ぼくは、いつもちゃんと起きて、まじめに授業を受けてるよ!」
「無自覚か」と疾風が、ため息をついた。
「なんのこと? ノートなら、ちゃんととってるし、どんな内容をやったかは、なんとなく覚えてるよ!?」
「先生の声を子守歌にして夢の中で授業を受けてるんだな。じゃなきゃ、なんでおまえの教科書も、ノートもよだれでしわくちゃになってるんだよ? ノートには解読不明の象形文字みたいなのが書かれてるし」
「だって先生が授業中に何を話しているか、わからないんだもん。英語じゃなくても『これ、日本語?』って感じで、訳がわからないし……」と鍛冶は左手の親指と人差し指をあごにやり、目線を右上にやる。「上の空で話を聞いているから、いつも先生に頭を叩かれちゃうのかな?」
「やれやれ」と目で言った疾風は、目線を文庫本のほうへ戻した。
そんなふたりのやりとりを、席について日向が笑って見ていれば、朔夜がやってくる。
バンッ! と日向の机に両手をつき、眉間にこれでもかとしわを刻み込んだ状態で日向のことを睨みつける。
「いい加減にしろよ、日向。いつまで俺のことを無視するつもりだ」
教室内にいた子どもたちは、とうとう始まるか……とゴクリとつばを飲み、ふたりのことを静観した。
日向はすっと視線を下にやって朔夜から顔を背ける。
「何? 無視なんてしてないけど」
「だったら、なんで俺が話しかけようとするたびに逃げるんだよ?」
「たまたまタイミングが合わなかっただけ。話があるなら、ここで聞くよ」
「ここじゃできねえ。ふたりっきりで話してえんだ」
日向は朔夜を一瞥し、すっと立ち上がると廊下に向かって歩きだした。
「悪いけど、今はそういう気分じゃないんだ」
すると朔夜は日向の手首を掴み、疾風に声を掛ける。
「悪い、疾風。日向のことを借りてくぞ」
「ちょ、ちょっと、さくちゃん!?」
日向は朔夜の手を振りほどこうとするが、朔夜は決して放そうとはしなかった。
「なっ!? さあちゃん、横暴だぞ! ひなちゃんが、いやがってるじゃないか!?」
顔を真っ赤にし、かっかと怒った鍛冶が日向を助けに向かおうとする。が、「まあまあ、まあまあ」と好喜と角次に両腕を掴まれしまう。
まるでアメリカの宇宙人のように拘束されてしまった。
「な、何するんだよー!?」と鍛冶が大声で喚くと「少し黙ってような」と苦笑する穣に口を塞がれてしまう。
「大丈夫だって、火山。ここは黙って見てようぜ!」と好喜が鍛冶に言い聞かせる。
疾風は口をへの字にして肩をすくめた。目線を文庫本に落としたまま口を開く。
「好きにしなよ。碓氷はオレの猫でも、犬でもない。急ぎの用もないから連れてけば」
「は、疾風くん! ちょっと、その言い方はないんじゃない……!」と日向が叫んだ。
「ただし、」と疾風が本のページを繰る。「あんまり強引なのもどうかと思うけど……碓氷に、ひどいことするわけじゃないんだよな」
目線を上にやった疾風は、鋭い目つきをして朔夜のことを見定めた。
「当たり前だ、んなことする訳ねえだろ。大切な恋人なんだから」
透明感のある疾風の黒い目をじっと見据えながら、きっぱりと朔夜は言い切った。
「あっ、そ。じゃあ、いってらっしゃい」
興味なさそうに返事をしてた疾風は手元の本へと意識を集中させる。
「疾風くん、友達を売るつもり!?」
日向が問うと疾風は文庫本を机の上に置いた。
「碓氷、友だちだから言わせてもらう。嘘をつくのは、やめろよ。ふたりに何があったのか知らないけど、このままずっと叢雲を無視し続けて、どうする?」
「べつに嘘をついてる訳じゃ……」
「おまえだって好きなやつと、いつまでも話せないのは、きついんだろ? さっさと仲直り、してこいよ」
日向は疾風の言葉に絶句し、開いた口が塞がらなくなってしまう。
そんな日向の手を引いて、朔夜は日向の前を行く。
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