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第11章 無力3

 無言のまま日向は朔夜の言い分を耳にしていた。 「光輝たちのことを擁護するわけじゃねえけど、おまえだって、おじさんが普通じゃないことは気づいてるだろ。あの人は、どうかしてる。異常だ。父親失格だよ」 「そんなこと、わかってる。でも責められるのは、お父さんだけじゃない。お母さんまで責任を追求されるんだよ」  朔夜は足元に視線をやり、「それも仕方ねえことだろ」と明日香の鈍感さを苦々しく思いながら告げた。 「仕方ないこと? ――仕方のないことじゃないよ!」と日向は腹を立てた。「夫婦のどちらかが子供を虐待していたら、虐待をしていなかったほうも世間から糾弾されるんだよ? 『おまえは何をやってた? 子どものことをしっかり見ていなかったのか? 子どもの虐待に気づけなかった・気づかないでいたおまえも同罪だ』って言われるはめになる!」 「おばさんが、いけねえんだよ……」と朔夜は苦虫を噛み潰したような顔をして、つばを吐くように、言葉を吐いた。「おじさんが番だからって忘却のレテを使わずに番契約を維持してる。おまえが、ひどい目にあっても何もしないでいるあの人だって悪いんだ」 「わかってない。さくちゃんは何もわかってないよ! 『オメガは(いん)(らん)で頭が弱い』、『アルファなしでは生きられない役立たず』、『社会のゴミ』って思われたりして、ひどい扱いを受けやすい。  オメガとして生まれたことは罪でもなんでもない。それなのに……バース性がオメガっていうだけで、世間は色眼鏡で見てくる。固定観念を捨てて、その人の本質を見ようとしない。オメガってレッテルを貼って後ろ指をさして人の不幸を笑う! 僕のこの状態を知られたら、お母さんがこの町にいられなくなっちゃうんだよ!?」 「じゃあ、このままおじさんのやってることを隠蔽するつもりか。加害者を庇って、なんになる? おまえは、おばさんや周りの連中、自分にさえ嘘をつき続ける人生を送ってもいいっていうのかよ!?」 「そうだよ」と日向は、さも平然とした様子で答える。「空ちゃんや光輝くんのおうちみたに、ご近所さんもいなければ、お手伝いさんもいない。丘の上にぽつんと建った一軒家。お父さんは、ほとんど家に帰ってこないからね。僕が何も言わなければ虐待は実証できないよ」 「そうやっておまえは、おじさんの肩を持つのかよ!? 自分だけじゃなく、おばさんが叩かれたり、殴られてるのに助けねえのか? 警察を呼べばいいのに、何もしないなんて、そんなのぜってえおかしい! おじさんがおまえらにやってることはアルファの男として、人間として間違ってる。弱いやつをなぶって楽しんでるだけだ!」 「間違ってるとか、間違ってないとか、そういう問題なじゃないんだ! 番契約をしたアルファは、オメガにとっては生命維持装置と変わらない。唯一の命綱だ。アルファが死ねば、オメガも衰弱死する。忘却のレテを使って契約を解除することはできてもオメガの身体はダメージを受けるんだよ。  そもそも子どもを持つオメガが、アルファとの離婚を理由に番契約を解除するときは、忘却のレテを使用するのに多額のお金が必要になるって、わかってるでしょ? ベータやアルファみたいに紙切れ一枚を役所に届けて離婚が成立するのとは訳が違う。正真正銘の命懸けなんだよ!」 「んなもんにバース性なんて関係ねえ! ガキが虐待されたり、DV野郎から逃げたいっていう人だって命懸けだろーが!? おじさんは、うちの親父みたいに自営業でもなければ、借金もねえ。おばさんだって非正規雇用とはいえフルタイムで働いてる。なのに、なんで忘却のレテを使うための金がねえんだよ!?」  アルファである母親や兄、祖母を持ち、両親から一心に愛情を受けてきた朔夜に対して、日向は冷笑を浮かべる。 「あのお父さんが、僕やお母さんのためにお金を使うと思う? お母さんが働いたお金ですら『夫婦の共同財産だ』って言って吸い取ってく。それでも“子は(かすがい)”だ。僕が我慢して、お父さんから殴られ続けていれば、お母さんは殴られない。いつまでも幸せなオメガでいられる」 「ざけんな、そんなののどこが幸せなんだよ!」  朔夜は声を荒げ、頑固な日向に対して怒りをぶつける。 「外にほかの女や男を作って、家にもろくすっぽ帰ってこねえ。妻であり、番であるオメガに負担をかけ、子どもを不幸にしてるやつといて幸せな訳がねえ! おばさんだって、おじさんのやっていることを薄々気づいて――」 「やめてよ!」  朔夜は日向が大声で叫んだことに驚愕し、思わず口をつぐんだ。 「それでもお母さんは、お父さんのことを愛してるんだよ!? さくちゃんのお母さんのせいで不幸になったんだ……これ以上、僕のお母さんの幸せを奪わないでよ!」 「だったら、俺はどうすればいい?」  苦渋に満ちた顔をしながら朔夜は日向に問いかけた。 「魂の番であるオメガが、恋人が傷つけられて殺されるかもしれねえときも指をくわえて見てろって言うのかよ……」

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