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第11章 無力8
「さくちゃんは、かっこいいよ。町の外に行くと女の子たちから声、掛けられてるでしょ。駅前なんかでは特に……海外の女の人たちから」
「嫌味かよ?」と朔夜は日向の背中に湿布を貼りながら苛立たしげな声で返答する。「大抵は、おまえとのパイプ作りを狙う女たちだぞ。それ以外は動物園や博物館に特別展示された珍獣を見るようなもんだ。おもしろ半分で声を掛けられてるだけ。海外から来た姉ちゃんたちは俺がこんな容姿だから英語で『道を教えろ』とか『この店を知ってるか?』って聞いてくる。おまえみたいに目の保養だからってナンパされてるわけじゃねえ」
「それは、さくちゃんの思い違いだよ。先輩方も、クラスメートの女の子たちも頼りがいがあって、やさしいさくちゃんのことを『気になる』って言ってた」という言葉を日向は呑み込んだ。素知らぬ顔をして「そうかな?」と受け流す。
「そうだよ。ほかに何があるっつーんだ」
「それで、さくちゃんの容姿とセックスがどう、つながるの?」
「だから……童 貞 なんだよ!」
赤面した朔夜が、がなり声をあげる。
しかし日向は、なんのことだろうと、キョトンとした顔をする。
「おまえに発情期が来たら、オメガのフェロモンにあてられて理性がきかなくなる。そうしたら、訳もわからなくなって、おまえのことをめちゃくちゃにしちまう可能性が高い。そうじゃなくても初めてをうまくやれる自信がねえ。傷つけたり、痛い思いをさせたくねえから抱けねえし、抱かねえんだよ」
「えっ?」
思わず日向は素っ頓狂な声を出した。
「『えっ?』じゃねえだろ。俺が童貞なのは日向が一番わかってるはずだ。おまえのことを抱いてねえんだから」
朔夜は、日向がさっき自分が意地悪をした分の仕返しをしていると思った。
グロテスクな色に変色した腹部へ湿布を貼りながら彼の表情を確認するために視線をやる。
日向はひどく狼狽していた。
朔夜は自分の発言がまずかったのかと焦りだす。
「おい、どうした? 俺の言ったことが気持ち悪かったか?」
「違う、そうじゃない。僕は、さくちゃんが童貞じゃなくて、もうほかの女の子たちを抱いてるんだとばかち……」
「はあ!? なんだよ、それ!」と朔夜が不本意ならないといわんばかりに大声で叫んだ。
「先輩方が『さくちゃんに抱いてもらった』って話していたのを耳にしたから。でも『上手じゃなかったから次はない』って言ってた。だったら、僕が練習台になればいいって思ったんだ」
鳶色の髪を乱暴に掻き、朔夜はため息をつく。
「四六時中おまえと一緒にいるんだぞ。おまえといないときは穣たちの助っ人でサッカーの試合に参加してるか、空手を習いに行ってる。それ以外は図書館で勉強したり、読書してるくらいだ。
兄貴が家を出てからは親父の店の手伝いで忙しいんだぞ。どこにほかの女とヤる暇がある? 俺が、おまえ以外の女とキスしたり、そういうことをすると思ったのかよ?」
「……噂は方々から聞いてたし」
「ふざけんな! いいか、俺の恋人で魂の番であるのは碓氷日向、おまえひとりだけだ。俺は好きでもねえやつとハグしたり、キスなんかしねえ。ましてや抱いたりなんてするもんか! なのに、おまえは……俺の言葉より女たちが言う嘘を信じたのかよ」
どうして日向が突然『抱け』と言ってきたのか合点がいった朔夜は肩を落とす。浮気を疑われ、架空の浮気相手たちへの対抗心から身体をつなげようとした。その事実にショックを受ける。
気落ちしている朔夜をよそに日向は、朔夜が浮気をしていない事実に安堵する。
「さくちゃん」
「なんだよ?」
日向は朔夜の唇に口づけ、抱きついた。
朔夜は真顔のまま硬直し、ゆっくりとまばたきをする。日向のやわらかい唇が羽のように触れた。その感触が朔夜の唇に残っていた。
「ごめんなさい……あの日、さくちゃんが助けに来てくれたことを覚えてる。きみの言葉を忘れたわけじゃないよ。でも弱虫な僕は誰かを心から信じることができない。すべてを疑わないと生きていけないんだ……」
ごめんで済む話じゃないだろ、と突っぱねることも朔夜にはできた。
だが、日向の置かれている状況を思えば、そんな非道な真似はできなかったのである。
「いいよ、もう謝るな」
朔夜は日向の背に腕を回した。
「嫉妬をするくらいに俺のことを思ってくれた。それだけで充分だ」
「さくちゃん……」
「だけど俺の一番は日向だってことを忘れないでほしい。おまえと出会った日、俺のバース性はアルファになって世界は一変した。だから俺の特別は日向だけなんだよ。代わりなんていねえ。恋人としてそばにいてほしいのも、番になって結婚したいのも、おまえだけだ」
「……うん」
日向は微笑み、猫が甘えるように朔夜の胸元に頭を擦り寄せた。
「それにしても、いきなりビンタするのはマジでねえぞ。おまえ、本気で俺のことを殴ったな?」
「うっ」と言葉を詰まらせ、日向は肩をすくめる。「だって、さくちゃんの言葉が、すごくトゲがあってイライラしたから」
「うっわ、ひっでえな! 恋人に、そんなことするのかよ!? あー、やべえ、どうしよう? なんだかすっげえ痛くなってきた! もしかしなくても、これは歯が折れたかもしれねえぞ」
ジト目で日向のことを見つめた朔夜が、つんとそっぽを向く。
「ご、ごめんね、さくちゃん。そんなに怒らないで」と困り顔をした日向は朔夜の赤くなった左頬に手をあてる。「そんなに痛かった!? 今から歯医者さんに行く? とりあえず僕もさくちゃんのほっぺに湿布を――」
すると朔夜は吹き出した。口元を緩ませ、日向のほうへ顔をむける。
「嘘だよ、歯なんか折れてねえ。湿布もいいよ」
「僕のことをからかったの?」
「ああ、さっきの仕返しだ」と朔夜は意地悪が成功した子どものように笑う。「たださ、朝言った俺のお願い、聞いてくれねえか? ……キス、してくれよ」
日向は目を大きく見開いた。頬を染め、視線をうろつかせた彼は先ほど平手打ちした朔夜の左頬へ口づける。
「うん、いっぱいする」
そうして朔夜と日向は、昼休みが終わるまで触れるだけの口づけを何度も、何度もしたのだった。
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