105 / 157

第12章 陽炎1

 未成年のオメガは男女問わず必ず一度は痴漢や性的暴行・虐待といった性的被害にあうという。その後、成人して番を得るまでの間にも同じ被害を二回から三回は受けるというデータが出て、社会問題とされているのだ。  朔夜は思った。ただ仲のいいカップルや、父ちゃんと母ちゃんみたいに日向と愛し合いたいだけなのに、と。あんな獣みたいな行為を日向に強要して、いやがっても無理やり押さえつけて、首から血が出るほど噛んで……日向を守ると言いながら一番危険なやつは恋人である俺じゃねえか。  なんだか朔夜は泣きたい気分になり、重苦しいため息をついた。  レバーを引き、トイレの冷たい水で手を洗う。  コンコンと軽くドアをノックする音に朔夜はどきりとする。  父親ならいいが、母親だったら気まずいことになるなと顔をしかめていれば、くすくすと楽しそうな笑い声がする。 「お父さんか、お母さんだと思いました? そんなところにいつまでいるつもりです?」  朔夜は、ゆっくりドアを開けた。開けた先には、日向によく似た少年がいた。 「――陽炎(かげろう)。なんで、おまえがこんなところにいるんだよ?」と朔夜は戸惑いながら少年へと声をかける。  陽炎という名の奇妙な少年は朔夜を先導するように暗い廊下を歩き、その後を朔夜がついていった。 「ここが夢であり、現実の世界だからです。つまり、あなたは()起きているけど、実際は長い夢を見ているってことですよ」 「何言ってるんだよ、おまえ。俺は夢遊病患者じゃねえぞ」  頭の上に疑問符を浮かべた朔夜が、すっとんきょうな声をあげた。  陽炎は、頭が混乱している状態の朔夜に背を向け、手を後ろ手にした状態で話す。 「まあ、そういう反応になりますよね。未来のことは誰だって、わからない。ご自分が、どんな状況か理解していないのも仕方ありません」 「訳のわからないことを言うなよ。そもそも、おまえは……」  ふわと甘い匂いがする。朔夜は、陽炎から香ってくるバニラの匂いに日向を連想し、体を固まらせた。  振り返った陽炎は朔夜の両頬を包み、唇に触れるだけのキスをする。 「野暮なことは言わないで。たとえ一時の夢だとしても、私も()()()()のおかげで、偽りといえど肉体を手に入れられたのですから」 「おい、一体なんのことを言ってるんだ?」  朔夜のもとから離れ、玄関脇のドアを開いた陽炎は暗い空間を凝視した。  黒いヘドロのようなものが、こちらを睨みつけているのを確認した彼は、ドアの横にある電気のスイッチを押した。チカチカと点滅をして電気がつけば、ふっと黒い物体が姿を消す。彼は放心状態となっている朔夜へと目線を移した。 「勇気を振りしぼってあなたの助けとなろうとしても、あなたに冷たい言葉をかけられ、突き放されてしまえば日向は悲しい気持ちになって何もできなくなってしまうと、わかっているでしょう」 「それは……」  朔夜は、陽炎が中学一年のときのマラソン大会や、()()の光輝による菖蒲への嫌がらせを言ってるのだと思い、頭を悩ませた。  陽炎は風呂の中の電気をつけ、服を脱いで下着姿となり、蛇口をひねってシャワーを出した。 「あなたが自分を頼ってくれないと思って、日向は泣いているかもしれませんよ」  日向によく似た顔立ちをした彼は中学生とは思えないほどに大人びて落ち着きがある。何より色っぽい仕草や話し方をするので、朔夜は劣情をかき立てられたのだ。 「仕方ないんだよ。俺が、あいつを守らないと、あいつがほかのやつらに傷つけられるから」  微笑みを浮かべた陽炎は、熱いシャワーのお湯を出す。そしてシャワーヘッドをホルダーにかけて朔夜の衣服を脱がしていく。 「おい、何するんだよ!? 自分で脱ぐって!」  顔を真っ赤にして朔夜がうろたえると陽炎は揶揄っぽい表情を浮かべ、じっと朔夜の灰色の瞳を見つめた。  黒曜石のような瞳に見つめられた朔夜は身動きがとれなくなり、陽炎にされるがままとなる。 「あなたやあなたのお父さん、お兄さんは興味がなくても、こういったことを好む男はアルファだろうとオメガだろうと関係なくいます」 「それは……」  瞬間、朔夜は自分に似た大人の男が、そういうサービスを受けてきたと朔夜に自慢する光景が頭をよぎった。  大人の朔夜はPCでの入力作業を行いながら嫌悪感をあらわにする。 「満月、そうやって昼間出かけるのは、よせと言ってるだろう」 「あいかわらず心配症だな、朔夜」  そう言って満月は朔夜の仕事場である副社長室の大部屋のソファーに身を預ける。 「当たり前だろ。真っ昼間から【亡霊】が活動するなんて冗談じゃない。幽霊の類は夜に活動するものだと決まってる」  腹を抱えて大笑いしながら満月は涙目になる。 「なんだ、まだ俺がお化けや妖怪の一種だと信じているのか? 子どもだな、朔夜」  だったら、どうして曽祖父であり、すでに墓が立って死んでいるはずのあんたが俺と同年代の姿になって目の前にいるんだよ? 内心、毒づきながら朔夜はキーボードに数字を打ち込む作業に集中する。

ともだちにシェアしよう!