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第12章 陽炎2
大学を卒業したばかりだが叢雲の人間である朔夜は叢雲グループの副社長に任命された。
実際は名ばかりの職位で、どんなに働いても大学生のアルバイト並の給料しか払われていない。社員たちですら面倒くさがる雑用のような仕事ばかりを押しつけられていたのだ。
だったら辞めてべつの企業に勤めればいいだけの話だが、現当主や満月によって両親や兄、そして日向を人質に取られている朔夜には選択の余地などなかったのだ。
「そんなバカまじめに仕事をしたところで給料は大して変わらないんだぞ? 気分転換に夜職の女やオメガと遊んだら、どうだ」
「それこそバカバカしい話だ。興味ない。火遊びをする時間や金があるなら読書と勉強に時間を使う」
現場の職員が上げたデータと新入社員の事務が打った数字を見比べる。
ああ、ここの数字が間違っていたから発注ミスが起きたのか。社員のミスを発見した朔夜は数字を打ち直した。
分厚いバインダーに収めてある用紙から該当したものを取り出し、定規をあて線を引く。それから正しい数字を赤で書き、訂正印を押す。
「まったくおもしろみのないやつだ。そんな様子ではオメガにモテないどころか、人から嫌われるぞ」
「ほっとけよ。俺なんかを好きだと思うやつなんて、この世には」
そこで朔夜は、はっとする。顔を上げれば満月がいやな笑みを浮かべている。
「やはりそうか。おまえはまだ日向のことを愛しているから、ほかの女やオメガを望まないのだな」
「違う、そんなんじゃ――」
「何度でも言ってやろう」と満月が立ち上がり、朔夜の肩を掴んだ。子どもの頃と違い、朔夜はアルファの男らしくガッシリした身体つきをしていて骨も太い。その上、筋トレも欠かさず行っているので筋肉もしっかりとついている。
それなのに骨がきしむ音がする。とてつもない痛みを感じて朔夜は顔を歪めた。
「あれは、おまえのオメガではない。俺のオメガだ。本来であれば、あれは俺の魂の番だということを忘れるな。おまえごときが手出ししていい相手じゃない」
「……よく言うよ。元オメガで魂の番であるアルファに捨てられたくせに」
満月は朔夜の肩を掴んでいた手を放したかと思うと朔夜の頬を拳で打った。
「口を慎めよ、ガキ。また痛い目にあわされたいのか」
唇を自身の歯で切ってしまった朔夜は、手の甲で静かに怪我をした場所を拭った。
「おまえごときがヒムカの何を知っている? あれは琴 音 が悪い。ベータの女の分際でヒムカと俺を誘惑してきた魔性の女だからな」
「嘘つけよ。ヒムカさんが愛してたのは、あんたじゃない。琴音さんだ。日向を無理やりレイプし、傷つけたときと同じように琴音さんにも乱暴したんだろ?」
「……黙れ」
「たとえ本当にあんたが日向の魂の番だったとしても、あんたは日向を大事にしない。心から愛し、幸せにしようと思ってないんだ。あいつがヒムカさんと琴音さんの子孫だから復讐を……」
「黙れと言ってるだろう!」
頭に血が上った満月は、朔夜のデスクにあったコーヒーカップを手に取り、コーヒーの中身を朔夜へとかけた。
せっかくの白いワイシャツが台無しだ。ジャケットをを羽織っていれば、ここまで汚れなかっただろうに……と朔夜は茶色くなったワイシャツを見つめる。コーヒーが熱くなかったから、やけどにはならずに済んで、よかったと他人ごとのように思いながら朔夜は立ち上がった。
ハンカチとポケットティッシュ、それからしみ抜きと貴重品を手にして満月の横を通り過ぎる。
「おまえに何がわかる……! 俺がどんな思いをして……」と背後で満月がブツブツ言っているのを聞き流し、ドアを開ける。
事務所の人間は、なんともいえない顔をして朔夜のことを見つめている者もいれば、すぐに目をそらして業務に戻る者もいる。
「まーた満月様を怒らせたみたいだぜ」
「お飾りの副社長は使えねえな」と誰かがせせら笑う。
朔夜は男子トイレに入った。洗面所の鏡の前に立ち、慣れた手つきでしみ抜きをする。
大方の汚れがとれたところで、後は家に帰ってから洗って汚れを落とそうと朔夜は、しみ抜きに使ったティッシュやシミ取りシートをゴム箱へ捨て、手を洗った。
ふと鏡の中の自分と目が合う。
ひどく疲れた顔をしていた。肌は荒れ放題で目の周りに黒いクマができている。
まるで病人だな。男性用化粧品で顔色を誤魔化すかと朔夜は自嘲的な笑みを浮かべ、頭を下げる。
ふたたび顔を上げると鏡の中にはなぜか学ランを着た中学生の朔夜がいた。
「どうして遊ばないかなんて当たり前だろ。俺の心には日向しかいないんだから」
まばたきをすると、いつの間にか中学生の朔夜は風呂の中で熱いシャワーを浴びていた。
大人になった自分が仕事をしている夢 を立ったまま見るなんて、どうかしていると朔夜は頭を振り、顔を洗う。
ふと下半身に違和感を覚えた朔夜は目線を落とす。彼は目をこれでもかと見開いた。
「か、陽炎! おまえ……何を……!?」
陽炎は風呂場のタイルの上にしゃがみ込み、朔夜の男性器を両手で掴んでいた。
日向と瓜ふたつの人間の裸体を目にした朔夜の下半身に熱が集まる。
彼の性器を手にしていた陽炎は、如実に朔夜の変化に気づき、口元に弧を描いた。
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