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第12章 陽炎4※

「どうして謝るんだ?」  朔夜は問いつめたりせず穏やかな声色で尋ねた。  日向は絞り出すような声で「役立たずでなりそこないのオメガだから……」とつぶやいた。  その言葉を耳にした朔夜は灰色の瞳を大きく見開いた。 「どうして、そんなことを言うんだ? 俺は、おまえが何者でも関係ない。見捨てたりしねえよ」 「だって……僕じゃ、さくちゃんを幸せにできない。きみを苦しませることしかできないんだよ」 「日向……俺は、」 「それでも」と日向は朔夜の言葉を遮る。「それでも、さくちゃんのそばにいたい。きみとずっと一緒にいたいんだ。離れたくないんだよ……わがままを言って、ごめんなさい」 「バカだな、日向」と朔夜は日向の両手首をそっと握り、ゆっくりと顔から離していく。  日向は朔夜の前で幼い子どもに戻ったように泣きじゃくり、何もかもすべて失ってしまったような顔をしていた。  そんな日向の額へ朔夜は口づけ、へたくそな笑みを浮かべる。 「俺も、おまえと同じ気持ちだ。日向と離れたくない。今も、この先の未来も、ずっとそばにいたいって思ってる。それこそ幼稚園に通ってるガキの頃からな」 「だって、それは――」  非難めいた声を出した日向の唇に、自分の唇を押しつけ、日向がそれ以上の言葉を紡げないようにした。 「さくちゃん……」 「もういい、もういいんだ、日向。おまえは、おかしくなんかねえ」 「でも……」 「俺がおまえのことを好きになって、おまえも俺のことを好きになってくれた。互いのことを好きになったから俺たちは恋人になったんだ。だろ?」  すると日向は黒曜石のような瞳をぎゅっと閉じ、何かを堪えるようにして唇を震わせ、再度涙をこぼし始めた。「お願い、さくちゃん……僕を嫌いにならないで。……恋人じゃなくてもいい。叢雲のおうちが『愛人や妾なら許す』っていうならなる。ただの知り合いでも構わない! 僕にできることなら、なんでもするよ。さくちゃんの人生を邪魔したりしない。……だから……僕を置いてかないで……」と途切れ途切れに告げた。  なぜか日向が透明になって消えてしまいそうな恐怖に駆られた朔夜は、日向のことを掻き抱いた。目の前に日向がいることを確かめるように、どこか遠くへ行ってしまわないように、魂の番である人間(オメガ)の身体を抱きしめたのだ。 「置いていったりしねえ。たとえ、この先の未来でおまえに指一本触れることができなくなっても、離れ離れになっても――俺の特別は、俺がこの世で一番愛しているのはおまえだ」 「さくちゃん……」  まつ毛を震わせて目を開けた日向は、まばたきをして涙をポロポロとこぼしながら朔夜の灰色の瞳を見つめた。  朔夜は目をつぶり、日向の頬を包んで唇に触れようとした――そこで朔夜の意識は風呂場へと急速に戻る。  朔夜の身体は陽炎の口淫に反応する。  陽炎は喉の奥まで朔夜の男根を導き、口をすぼめ、歯を立てないようにしながた頭を激しく振り、朔夜が達する手助けをする。  なんだよ、これ……さっきのは一体? 考えたいことも、思い出さなくてはいけないことも山のようにあるのに頭の中で、パチパチと火花が飛び散る。 「日向……どうして……? っ!? ……うっ、くっ!……ぐ……っ……」  背中を丸め、目をつぶり、息を詰める。朔夜は体内で渦巻いていた熱を陽炎の口の中や喉の奥へと断続的に放出した。すべてを出し切ると射精の余韻に浸って夢見心地のまま荒々しい息を整え、肩を上下させる。  目線を下にやった彼は、はっとする。  濡羽色をした髪がシャワーのお湯によって象牙色の肌に張りつき、水を滴らせている。ふっくらとした形のいい唇には自分の鳶色をした下生えがあたっており、桃色をたそこから顎先へと、白濁液が伝っていく。朔夜の精液はシャワーのお湯で流れ落ち、排水溝へ流されていった。 「か、陽炎。悪い、俺……」  陽炎は薄目を開け、朔夜のやわらかくなったものを口から出した。そのまま、わずかに隆起した喉仏を動かし、口内にあるネバついた液体を少しずつ飲み込んだ。  しかし朔夜がまばたきをすると陽炎の姿は跡形もなくなってしなう。 「陽炎?」  朔夜の右手はぬめり、青臭い臭いのする白い液体がベッタリとついていた。彼は見慣れた自分の右手を目を凝らして見る。  シャワーの水滴が床や壁を打つ音が、どんどん大きくなっていく。次第にその音は滝が落ちるような音となり、最後には砂嵐が出ている古いブラウン管の音へと変わっていった。  脳みその中に金属の棒を突っ込まれ、無理やり掻きぜられるているような気持ちの悪さを感じた朔夜は、両耳を塞いだ。  突然、テレビの電源を切ったかのように音がやむ。  喪服を身に纏った二十八歳の朔夜は誰も観客がいない舞台にひとり立っていた。スポットライトの明かりもない薄暗い空間の中で人形のような表情をして、ぼうっと虚空を見つめていた。  プツンと音がするとスピーカーからノイズ混じりの声がする。 【おまえは本当に日向を愛しているのか?】 「――えっ?」  何が起きたのかわからない状態でいる彼は戸惑い、ゆっくりと観客席を見渡した。 【おまえが愛していたのは、果たして本当に日向なのか? 身近にいるオメガだから愛したふりをしただけ、そうだろ?】

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